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二ツ森貝塚に行ってきた【北海道・北東北の縄文遺跡群】

旅の記録
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さて、お久しぶりのいくちゃんです。
……ちょっと時間を置きすぎました、無事に引っ越しておりましたよ。

青森へ!

それも東西で言えば東の方!
というわけで、白神山地よりはまずこっちでしょ――と、比較的最近のシリアルノミネーションに手を出しました。

『北海道・北東北の縄文遺跡群』は、全部で17件の構成資産からなる世界遺産です。
うーん、たった17なんて回りやすくて良いですね(感覚がバグっている)

……『百舌鳥・古市古墳群』と比べるのが悪いw(45件の構成資産)

比較的行きやすそうな遺跡から挑戦しようと

さて、たった17件とはいえ、それぞれの構成資産はだいぶ離れています。
しかも割と田舎なので、移動が大変そうです。
『百舌鳥・古市』が都会に密集していたのとは真逆ですね。

いくちゃんは基本、公共交通機関というか……まあ、車の運転を避けて、回ろうと思うのですが……。
比較的行きやすそうな場所に、1件あるではないですか!

二ツ森貝塚史跡公園及び、関連施設の二ツ森貝塚館は、最寄駅から徒歩約一時間。
おおっ、近いね!!
更に更に、引っ越し先の最寄り駅、実はこの鉄道の沿線なのです。

青い森鉄道!
もちろん我が家の最寄り駅の名前は出しませんが、これが二ツ森貝塚の最寄路線でもある……一応。

いわゆるホームページとかの「アクセス」って、徒歩一時間はあまり徒歩圏内に含めてくれないので、車やタクシーの案内しか載っていないことが多いんですが……そこはGoogleマップ先生が大活躍です。
青い森鉄道の乙供(おっとも)という駅と、隣の上北町(かみきたちょう)という駅が、どちらもほぼ一時間の距離にあります。

電車は一時間に一本程度は出るみたいだし、引っ越しの時に青い森鉄道は経験済みです。
乗り換えもないし、新しい場所はとりあえず歩いてみたい私にとって、一時間はむしろ近い。

これだ!

――と思って、選んだのでした。

道を間違えました。

……一時間半くらい、歩いたかな、二時間かな(笑)

一応歩けない道ではないですが、多分歩く人はほぼいないのですね。
歩道という歩道はあまりなく、車道の端に白い線が引いてあるだけの場所が多い。

信号のないだだっ広い国道を、たまに車が走ってくるような感じ。
(Googleマップでは「Nat’l Rute」って書いてあるから、国道ではあるはず)

でも、良い道でした。
間違えた時に取り戻すために回り込んだ道は、何かの工場だかセンターだかの脇で、林の間を抜ける感じで良かったです。

盛大にぶっつぶれた車が放置されていて、何かと思ったけど(なんであんなことになったんだろう……? 雪?)

乙供も上北町も、市町村で言えば東北町(とうほくまち)に当たります。
二ツ森貝塚は、その隣の七戸町(しちのへまち)です。

最近ダウンロードし直した市町村制覇系スタンプラリーアプリが、良い感じ……!(笑)

まずは二ツ森貝塚館へ

さて、私は行きは乙供駅を使い、帰りは上北町駅から乗りました。

二ツ森貝塚史跡公園より先に、二ツ森貝塚館に行こうと考えたからです。
丁度乙供から二ツ森貝塚館を通過した東に史跡公園があり、その向こうに上北町駅があるんですね。

二ツ森貝塚館は、旧七戸町立天間東小学校の旧校舎をリノベーションし、展示館としたもの。
入館は無料です。

ちなみに、小学校は「七戸町立」ではありますが、この辺は旧天間林村(てんまばやしむら)に当たります。
旧七戸町の北側で、帽子をかぶるように存在した村ですね。
今は合併して七戸町の一部です。
天間東小学校があったのは、今の東北町との町境にほど近い場所ですから、つまり、村の東側ってことで、この名前なんでしょう。多分。

引っ越したばかりで、なんでそんなこと知っているのかって?

……青森に来たので、市町村パズルをやっていまして。
まずは今の市町村でジグソーパズルして遊んだんですが、実は1995年版がありましてですね……。

ほら、平成の大合併ってあるじゃない?
それより前の地図でも遊べるんですよ。
これが面白くて……!

度重なる「ああっ、やっぱり!」が楽しい!((

まあそれは余談なんですが(笑)
二ツ森貝塚を訪問して、「どうも天間林って旧市町村名っぽい雰囲気あるなあ」って思っていたら、そのあとパズルで判明したところによると――ってことですね、当時は知りませんでした。
ちなみに訪問は先週の日曜日、4月16日ですね。

閉校になったのは、平成31年だそうです。
その後の二ツ森貝塚館の開館は、令和3年。

旧校舎と言っても全部を使うわけではないし、展示自体はこじんまりしています。
でも、内容は充実でした。

というか、てっきり二ツ森貝塚に関わる展示ばかりかと思っていたら、導入で七戸町の遺跡全般に関わる展示もありまして。
森ケ沢遺跡なんて、大阪の陶邑(すえむら)産の須恵器が発見されたとか書いてあるんですよ!

いくちゃんの前の住処、大阪府堺市です……!

堺市は、『百舌鳥・古市古墳群』のうち、「百舌鳥古墳群」がある場所でもあります。
この古墳に副葬された須恵器――つまり焼き物を作っていたのが、南にある陶邑です。
須恵器は、古墳の年代特定の指標の一つにもなっています。

堺にいたの、たった2か月なので……古墳自体を回って学ぶのに必死で、陶邑までは行けなかったけど……。

前方後円墳の文化は、岩手のあたりが北限です。
それより北は、「続縄文文化」圏でした。

続縄文文化って、本州殆どが前方後円墳文化にある時期に、独立して縄文文化を引き継いでいた文化圏、なんですね、大体で言うと。
北海道を中心に、北東北でも発達していました。
つまり、文化的に南と反発しあっていたようなイメージが私にはあったんですよ。
にもかかわらず、ヤマトの古墳文化を象徴する陶邑の須恵器が見つかったってことは、交流の証拠でもあるのでは……?

いくちゃんは詳しくないし、展示もちょっとした紹介に留まっていたので、実際のところはちゃんとわかりません。
展示には、「続縄文文化の土器とともに、(中略)古墳文化の影響を受けた遺物が出土しており、北の続縄文文化と南の古墳文化の要素が入りまじっていることがわかる」とありました。
たったこれだけの展示ですけど、前の住処で古墳時代を学び倒していたからこそ、衝撃を覚えてどきどきでした。

……ちなみにありがたいことに、二ツ森貝塚館は無料ですが、『二ツ森貝塚館 常設展示図録』というのを1000円で売っています。
この図録を見ると、常設展示室の外のものまで含め、館内の展示を英語・日本語両方で、余すことなく見返せるのですよ。

最高ですか。

肝心の二ツ森貝塚については

一方、堺で必死になって学んだ古墳時代はともかく、正直縄文についてはまだまだ学習不足です。

今もそうで、もう少し学術面を補強したいところです。
正直堺で燃え尽きちゃったので、なかなか再発進できないんですよね((

意欲を上げるためにも、とりあえず行ってみよう――という感じでしたが……。

いや、凄いのよ。
ちゃんと貝塚の剥ぎ取り断面もあったし(しかも二つ! これは凄い!)、石器や獣骨を手で持てるコーナーもあって(前項写真参照)、本物の土偶の代わりに町内の方が作ったレプリカを回転して見られたりもして、〝観察〟の欲求を満たしてくれる工夫がなかなか満ちています。

しかし知識面で言うと、二ツ森貝塚というよりは、縄文時代の解説に留まっている部分も大きかった気がするし。
もっとニッチに掘り下げてほしいとも思うけど、あのスペースで十分色々工夫していた気もするし……。
というか、私自身が細かい情報を受け取る実力がなかっただけにも思えるし。

まあ、理由を突き詰めようと思うと、それらしい答えは色々浮かぶんですが、それが正しい答えかはわかりません。
でもいずれにしても、予め知識を仕入れて行って悪いことはないかな。
楽しめたけど、満足しきれたかは微妙、って感じでした。

そもそもの話ですけど、ざっくりした知識とか華やかな出土物とかより、私って穿った局所的な知識が好きなんですよ。
自分の中に豊かな前提知識があれば、解説なんて大してなくても、展示物だけで勝手に穿ちまくった視点で楽しめますが、それがないと解説に頼らざるを得ない。
結果、解説の何かがまろやかで足りなかった――というのはあるかも。
意外性だろうか?

小川原湖の縄文海進による変遷と周辺の遺跡マップとかは、とても面白かった(今項写真)。

二ツ森貝塚史跡公園に向かう

さて、上北町まで歩いていくと知った職員の方が、細かく道を教えてくれました。

いやあ、さっそく逆方向だと思い込んでいたから嬉しいね!(笑)

言われた通りの方向に歩いていくと、まずは自販機を発見……。

救世主……!

実はいくちゃん、この日は朝にマグカップ一杯の水を飲んだきりでした。
うん、いや、お昼ご飯は食べたはずだけど……何食べたっけ?

水筒を持って行かなかったので、閉館直前の16時前まで二時間ほど見てお暇する頃には、水分欲しくてくさくさしていたのですね((
それで「どこかで飲み物買えませんか」って聞いたら、公園行く途中に自販機あると聞いていて……本当にあったよ……!(涙)

こんな不摂生、皆さまは真似をしないでください……少なくとも、二ツ森貝塚館には自販機はないです!w

さて、せっかく水分を手に入れたのに、脱水時間が長かったためなのか何なのか、思ったほど口に入らない。
絶対良くないやつだ……と思いつつ、買った『図録』の入ったビニール袋に麦茶を入れて歩く。
(※すみません、アイスティーの間違いでしたw(2/23追記))

間もなく着きました。
二ツ森貝塚史跡公園です。

……うん?

……うん。

いや、これは、うーん?

わ……わ か ら な い。

一応公園の中心に、ぽつんと竪穴住居が再現されているので……とりあえずそこに行ってみる。

隙間から覗いてみると、確かにちゃんと再現されているみたい。
どんな家に住んでいたかは、まあ、サイズ感含めてピンとくる。

どうやらカヤなどで葺いていたっぽい情報は、近くのつぼ型看板にあるんですが……。

そ、それだけでした(泣)

しっかり埋め戻すのは当然にしても、初心者には優しくないorz
どこに何があったか案内があるわけじゃないので、現地に行っても「ここに二ツ森貝塚があったらしい」以上の情報が、ほとんど入ってこない……。
結局ここでも、二ツ森貝塚というよりは、「縄文の住居ってこんな感じですよ」的な情報しか、得られなかった……orz
まあもちろん、立地は多少わかったけど……。

そして何より、風が強い。

めっちゃ強いんです、寒いです。
よくわかんないまま長居したくないです(汗)

青森県は風が強い。
もうあちこち風車が目に入るし、日本一規模の大きい風力発電所も青森にあるとか(本で読んだ)……。

一応周辺の看板とか建屋とか見てみたけど、案内所って書いてある建屋は鍵が閉まっているし(中に資料展示があるのは見えた)、看板には大した解説は見当たらない……。

これ、二ツ森貝塚館なんかよりよっぽど、何も知らずに来てもどうしようもないところだ……!

そして寒い!

か、かえりゅ……!

道、わかりやすい!

ありがとうございます、職員の方……!

上北町駅で気づく手元のマップ

突風吹きすさぶ橋で車から逃げつつ、上北町の駅を目指します。

言われた通りの目印で曲がり、言われた通りの場所が見えてくる……すごい……。

どうやら上北町の駅は、東北町の中心部のようです。
役場は赤茶色で、なかなか立派な見た目をしていました。

……ふむ。

ここは日本で唯一住所を持つ湖でもある、青森県下最大の湖、小川原湖に遊びに行く際の最寄り駅でもあるそうです。
小川原湖191番地ですよ。
二ツ森貝塚もかつての小川原湖畔に出来た集落っぽいので、近いのも当然かもしれません。
なお小川原湖は、駅から徒歩20分くらいです、確か。

小川原湖も見に行ってみたいので、きっとまた来ることがありますね。
ようこそ東北町へと歓迎する看板の下をくぐり、電車が来ているのを目視で確認し、慌てて駅舎に駆け込んで切符を買うと――(なお電子マネーは青い森鉄道で使えません)。

……行ってしまった。

残念賞で一時間後を待つとしましょう。
ベンチに座って、『二ツ森貝塚館 常設展示図録』を引っ張り出します。

上述の通り、なかなかに忠実に展示物を収めてくれている様子に感激……!
しかも、二ツ森貝塚館のルーツについては、こっちの方が詳しいくらいかもしれない。

復習を兼ねて、一通りの日本語を読みつつ、展示を振り返ります。

……電車はまだ来ない。

幸い展示は一通り見ているので、読み続けても疲れ切ってしまうことはありません。
いっそこの時間で読み切ってしまいましょう。

デジタルアーカイブは、館内で全部見ませんでしたが……。
平成の大洪水の実際の写真を、縄文の海の再現資料として使っているのが載っていました。

この発想はなるほどすぎて凄い……!

駅舎で放送が流れています。
現在列車は強風のため遅延しており、15分遅れで八戸駅にいます――だそうです(確か、というか多分八戸だったと思う)。

私がどっち方面に乗ったかはここに書きませんが、とりあえず東から西に向かう列車は遅れてしまったらしい。
強風で遅延とは。
さすがすぎる……。

わくわくしながら最後のページ。

二ツ森貝塚史跡公園の案内が載っていました。
「史跡公園に行こう」だそうです。

……地図、あるやん。

公園のどこにどの貝塚があって、大物である「埋葬されたイヌ」がどこで発掘されたかもわかる。

これ見てゆっくり回れば、もう少し充実した脳内再現で遺跡を楽しめたかもしれない。
――いや、間違いなく楽しめた。

めっちゃ簡易の地図ではありますけど……。

もう少し早く気付くべきでした。
皆さまにお伝えします。

二ツ森貝塚を訪問する際は、先に二ツ森貝塚館に寄りましょう。

そして遺跡の知識とともに、史跡公園の地図をゲットするのです。

……現在列車は強風のため遅延しており、12分遅れで三沢駅に到着しています、だそうです。
だんだん遅延が短くなっていますね。
さて、読書の感想纏めてゆっくりするか……。

なお、上北町は無人駅です。

青い森鉄道の駅は、大半が無人駅だと知りました。
(だから有人駅に着く度に、そこの駅員さんが遅延の放送を流しているんだろうなあ……一回目と二回目で声違ったし)

あとついでに、上北町(かみきたまち)も旧町名のようですが、では旧東北町の中心部はどこにあったんだろう?
乙供……?(くらいしかない気がする。そういえば駅の近くで公民館とか図書館分館の案内標識はあった)

第一弾は行きやすかったけど

縄文遺跡を巡る旅としては、少し物足りない収穫になってしまいました。

やっぱり、事前知識の貧困さが原因だと思う。

実はゴールデンウィークには、行きにくい場所を埋めようと、遠出で連チャンする予定です。
今回の感触を思っても、もう少し知識を充実させることを意識しよう。

二ツ森貝塚は行きやすいので、レベルアップしたらもう一度行ってみるのもありかな。
可能ならついでに七戸城とかも見てみたいし、今回の青森は2か月とかの短期間じゃないので、何も世界遺産以外を切り捨てることもない。

拠点を移して留学できるのは、やっぱり美味しいです。

まあ、旅としては充分、楽しかったかな。

乙供の桜。

七戸町のホトケノザ(と、ちょっとオオイヌノフグリも写っていた)。
(※後で気づいたけど、ホトケノザではない。ヒメオドリコソウだろうか……? ※4/28追記)

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