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いくちゃん先生のコラム
世界遺産のいくちゃん先生が、世界遺産の話とかそれ以外の話とか、色々コラムを書いちゃいます。
まだまだ修行中の身、Webサイトも本人も発展途上ですが、皆さまの生活に学びの楽しさと彩りを添えられますよう。
世界遺産を入り口に、豊かな世界を楽しく疑似旅行!
……月に1記事くらいは、投稿できるように頑張りますw
さて、サイト管理人のいくちゃんについては、プロフィールページをご覧ください。
しかしこのブログは世界遺産をテーマに語りながらも、いくちゃんという人間のホームページでもあります。
だからこそ、私自身のことを語っておきましょう。
等身大の不格好ないくちゃんが、どうして世界遺産に関わり始めたか……。
どう向き合って歩んできたか、その歴史を。
興味ないよーって方は、下記は読まずに上のカテゴリリンクから飛ぶか、一番下の「新着記事一覧」をご覧ください。
いくちゃんと世界遺産の邂逅
海山いくちゃんが世界遺産と出会ったのは、2019年のことでした。
……いや、それ以前にも行ったことのある世界遺産はありました。
小学校の修学旅行では、『古都奈良の文化財』や『古都京都の文化財』、『法隆寺地域の仏教建造物』に行きましたし、大学時代には『紀伊山地の霊場と参詣道』も歩きました。
『琉球王国のグスク及び関連遺産群』の「首里城跡」には、高校の修学旅行で行きましたね。
うん、いくちゃんの実家は三重県なので、いかにもというラインナップですね。
ただ、当時は〝世界遺産〟という存在はあまり意識していませんでした。
さほど旅をするタイプでもなく、「世界遺産……人気の旅行スポット?」くらいの認識でした、お恥ずかしい。
そのいくちゃんが、何をきっかけに世界遺産に触れ始めたのか――。
それは、とある思い付きからでした。
これは高校三年生のある日、某私立大学の推薦受験に赴いた帰りでした。
「そうだ、小説家になろう」
……読者の多くが困惑している気はしていますが、きっかけを遡ればこれに辿り着きます。
当時は夢とか希望とか特になく、高二の頃なんて「私はもう終わりだ」と職員室の前で急にガチ泣きして保護されたものです(遠い目)
大好きな水樹奈々さんの歌を歌っては、そこに歌われるキラキラした前向きの世界に、半ば逃避するような日々でした。
本気になれる幸せなんて、私にはわからない。
そんな対象持っていない……。
恋愛も知らないし、青春も覚えがない。
そんな虚しさを誤魔化しながら、進路選択の岐路の中で、漫然と将来を考えていたのだと思います。
今まで否定してきた進路をすべて考え直し、自分の将来としてぴたりと腑に落ちたのが……小説家でした。
小説など書いたことは(ほぼ)なかったいくちゃんは、まずはどうすべきかを考えました。
もちろん、書くこと。
書かねば小説家にはなれません。
しかし、ただむやみに書こうとするだけで良いのでしょうか?
……良いかもしれません。
というか当時の私は(今もですが)、ちょっと遠回りすぎるような……。
ともあれ、その時の私はこう考えました。
――とにかく多くの知識を付け、見聞を広め、経験値を磨くべきではないか?
小説家になるには、それに最適化された人生を生きなければ。
これまでの漫然とした日々を取り戻すかのように、より具体的な将来に向き合い始めました。
2012年の冬でした。
これを前提にそこからの私は――とりあえず受験中は小説を書き始めるのを自重しつつ、色んな経験を積もうと、決意して道を探し始めるのです。
……で、紆余曲折がありまして。
うん、2012年だったら、まだ7年も前ですからね、急に世界遺産に出会ったわけではなく、まあ本当に色々あったし……。
柄にもなく運動系の部活に所属した時期もあったし(色んな経験を……)、それをやめようといざこざを経験した時もあったし(ひきこもり……)。
授業にもいかず本も読まず、外出もほぼせずに、ひたすらパソコンをぱちぱちやっていた時期もありました(不良学生)。
あ、そうだ、留学もしましたよ、台湾に一年ですね。
色んな経験はしたけど、結構インドアに偏っていた気がします(笑)
あ、成人式で喋ったりもしたかな……。
今思うと大分迷走していますが、今も変わらないなという気もww
何かの選択肢に立たされるごとに、私は〝小説家になるには〟という前提で選び取ってきました。
当初は〝音楽〟を自分の武器にしようと、民族音楽系の知識に目を向けたこともありますね。
2019年……。
色々あって岐路に立たされていた私は考えました。
このままでは正社員としての就職先が見つからないのではないか?(←当時はフリーター)
……色んな資格を取りまくれば、小説に活かせるついでに学ぶ能力もアピールできるのでは……?(どうなんだろう……)
そこで、小説に活きそうな資格を漁り始めました。
特に重視したのは、「興味がなくて今まで目を向けていなかったがゆえに苦手だけど、やれば小説に活かせそうなジャンル」です。
自分の枠を広げるために、苦手ジャンルに挑戦しようということです。
そこで受けたのが、岐阜市まちなか博士、日本城郭検定、グリーンセイバー、メディカルハーブ検定、スペイン語技能検定……そして、世界遺産検定です。
世界遺産に興味があったというより、たくさんある〝苦手ジャンル〟のうちの一つでした。
7月初めに3級を受けた時は、苦痛で仕方なかったですw
だって興味ないし、知識もないしw
バイト終わりに賄い食べながらとか、家庭教師の通勤電車とか……いくつかバイト掛け持ちしていたので、その合間に力づくで詰め込んでいましたw
でも人間、必死で取り組めば愛着も湧くというもの。
……取り組み方にもよるかもしれませんし、元々の適正も関係あると思いますが、一定以上は事実だと思います。
純粋に、学んだことで面白いところも見えてきますし。
注ぎ込んだエネルギーを無駄にしたくない、って心理もどこかにあるかも。
12月に、今度は2級を受験しました。
〝遊びじゃなくて必死で勉強したんだ〟と、どうでもいい余計な自負はくっついていましたが、一応魅力あるジャンルだと認めるようになってきていました(まあ色々あったからね……w)(笑)
〝世界遺産の人〟になった時
さて、いくちゃんの世界遺産との出会いは以上のものですが、この時点ではこれ以上には進みません。
……まあ、世界遺産検定で身近になったことで、旅先に世界遺産を選ぶことはあったかな。
『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の「崎津集落」とか行きましたよ。
1級を受けようかと『世界遺産大事典』上下巻を購入し、2020年の12月に受検申し込みもしたものの……。
受検するには至りませんでした。
『大事典』上巻は、殆ど終わりがけまで読んだんですけどね。
実は当時(2020年)、いくちゃんは公務員試験の対策勉強をしていまして……。
なんだか世の中不審が強くなってきていて、「勉強さえすれば受かるなんて、なんて素敵なんだろう」と頑張っていました。
〝公僕〟に憧れたというのもあります。良いよね、公の利益のために全身全霊で本気を出すって……夢だよね……。
まあ、現実の役所はそんな空気じゃなかったですけどね。
あえなく一次面接落ちを決めたいくちゃんは――まあ、結果は火を見るよりも明らかだったので、焦りました。
世界遺産はぜひ取り組みたいけど、今はそれどころじゃない。
何せフリーターには限界を感じていました。
同じような作業を延々繰り返す働き方は、「色んな経験がしたいから」という理由で選び取ったフリーターの利点と噛み合っていないし……。
性格的にもしんどいし。
金銭面も……。
家庭教師は元々掛け持ちしていましたが、生徒の卒業や経済的理由、コロナの飛来に〝先生が嫌い〟という本音まで、多くの理由が重なって2020年春の時点で案件は白紙。
それに、移動時間や休憩時間を考えると、自給が高めと言っても帳消しです(片道一時間半かけて行っても、せいぜい2時間分しか働けないのが家庭教師……)。
飲食店は単純作業過ぎて続かず、正直最悪なやめ方をしてしまいました……(病んだ挙句に「今日限りでやめさせてください」というやつ)。
じゃあ、どうせよと?
家族に寄生して勉学に集中することで、精神の安定を保っていたような状況です。
自分が世の中に認められていないという負い目から、「絶対に価値ある人間になってやる」と自己啓発に励んだ結果、余計に浮世離れしていきました……ええ、自覚はあります……。
小説で結果を出そうと焦ったこともありますが、そうすぐに何とかなるものではありません。
それに、まあ……こういう切迫した書き方は、私に向いていなかったなと今は思っています。
焦ったいくちゃんは、より即効性のある活動に取り組むことにしました。
就活です。
まずはIT企業に目を付けました。
人手不足で雇ってもらいやすいイメージもあったし、プログラミングは……実は、世界遺産検定の勉強をしていた頃から、趣味で早朝にちまっと学んでいたのです。
なんでだっけ?
……よく覚えていませんが、寝起きにいきなり頑張るのは疲れるからという理由で、一日の前座として朝の5時ごろとかに遊びのように学んでいました。
遊びたいから日に日に早起きしました((
その後で前日の学習範囲をパソコンの「メモ帳」にぱちぱち打ち込んで、8時頃から家族と運動して、その後『大事典』読みに入るんだったかな……?
お昼は食事をしながら小説進めていたっけ?
なんか色んな時期が頭の中で混じっていて、少し違うかもしれませんが……。
で、少しプログラミングに触れていたのもあって、「これならいける」と思ったのです。
ITエンジニアの仕事を調べまくったり、求人を調べまくったり、実際に言語を学んだり……。
そうこうするうちに、正式に面接落ちの結果が届き……。
あぁやっぱりな、と思いつつ、ITエンジニアについても気合が落ちていきました。
都会で生きられる気がしない……と。
……絶望。
マジでわあわあ泣きました。
その後もやはり紆余曲折ありましたが(全部は書きませんw)、世界遺産という大きなテーマに取り組むのは二の足を踏んでいたように思います。
とりあえず小説の次回作のために……と言って、南米関係の本に手を出してみたりはしましたが……。
あくまでそれだけ。
それでも途中でやめた1級の存在が、ずっと頭の隅に残っていたのです。
やがて南米の本を漁るにも、参考文献や解明されていることが(アジアやヨーロッパより格段に)少ないという問題にもぶち当たってきます。
元々基礎や素養があったわけではないので、数少ない参考文献を十分に読み解けているとも言えません(というか記憶の定着率やイメージ力も悪いよね)。
もうこれは……と、認めざるを得なくなっていったわけです。
ちまちまと局所的な勉学にあがいているくらいなら、さっさと腹を決めてしまおうと。
枠を広げて〝世界遺産の人〟になろうと、そういうわけです。
……とはいえ、いくちゃんは元々歴史や世界遺産に詳しかったわけでも、旅慣れていたわけでもありませんでした。
だから、最初から。
「小説家になろう」と決めた時と全く同じですね。
やると決めたから、やるしかない。
やるしかないから――自分を枠に当てはめていくのです。
その定義にふさわしい自分を、これから作っていくのです。
そうして力を養ってから改めて、小説の課題とも向き合えば良いではないか。
何も焦ることはないのだから……だって、次回作だし。
今はまだ一作目をリライトしている途中だし……(汗)
2021年……確か、8月頃のことでした。
この辺の話は、電子書籍で出版した中にあったかも……。
手始めに、動画配信をすることにしました。
何かを学ぶなら、アウトプットを兼ねる方が良い。
期限や目的が決まっている方が、より本気で頑張れる。
せっかく学んだことなら、みんなで共有できる方が良い。
色んな経験という点で、小説にも活かせるかも。
……そして、それが少しでもお金に繋がれば、安定や発展に繋がるかもという目論見もありました。
正社員なんて高望みはもうしない……。
「世界遺産のいくちゃん先生」の誕生です。
いくちゃん先生の活動を始めてから
がむしゃらに全力を懸けていました。
やるからにはすべてに懸命に、真摯に、できる限界にぶち当たっては、やるべきことをそぎ落とし、また枠を広げ、選択し……。
やり方を変えて、やる内容を変え、好奇心を裏切らず、何にでもその都度邁進して。
その度に世間とズレていく自分を、心のどこかで達観しながら。
よりよき未来を、歩むべき道を、そこで成し得るすべてを夢見て。
「小説家になろう」と決めたあの時は、どこか虚しい〝夢〟だった水樹奈々さんの歌は……今では、もう少し身近で真に迫って歌えるようになりました。
いえ、疑っていたわけじゃないですが。
ちゃんと自分ごとになったということです。
……恋愛はともかく。
いや、恋愛もそうですね。
だって私自身はともかく、私の書く小説のキャラクターは恋愛もしています。
書けば、それなりに身近に理解できていきますから。
……最初は男性キャラ自体書けなくて、四苦八苦したものです(遠い目)
それで「男女の違い」とか検索したりしてね……(笑)
そんな中で、半ば流れで決まった〝世界遺産の人〟としての在り方ですが、当初はもちろん上手く行きませんでした。
将来への焦りも残っていたし、とにかく動画をたくさん出そうとして失敗して……。
だって私自身の性格もそうですが、予備知識の貧困な素人が短期間で情報詰め込もうとしたって限度ありますし、そんな上っ面の配信がしたいわけじゃなかったんだ……。
そんなわけで一度は「やめる」と言ったものの、「やめるくらいならたまに配信するのでも同じでは……?」と思い、早々に復活の機を窺っていました。
何せ配信自体は楽しかったし、知識を叩き込む手段としても実際に手ごたえがありました。
ニコニコ動画で配信リクエストが届いていたり、YouTubeでチャンネル登録が増えていたりもあります。
復活しなければ……と、そう思っていったのです。
ホームページも、この頃には開設していました。
こっちも充実させていきたい……と、色々試しては首を捻り、動画配信との差別化に悩み……それでも復活させたかったのです。
結局縁あって建設派遣会社に就職したものの、その世界に依存していく気はありませんでした。
今までの人生でのこともあり、自分がいかに不安定なのかを認識していた私は、「一つの会社に依存してそこが駄目になったら……」という不安は、常に抱えて生きています。
精神的に耐えられなくなれば、如何に〝安定〟と言われる公務員だって行き詰まるし、郵政等の民営化で公務員でなくなってしまった元公務員だって、世の中にはいます。
まして一般の企業であれば、普通にクビになったり、労働条件が合わなくなったりする危険性は大きいでしょう。
その時、自分はどうするのか?
折しも世界では、ロシアのウクライナ侵攻が始まっていました。
自分にできることはなんだろうか。
ここで、ウクライナ関係の世界遺産に焦点を当てて、復活してみるのはどうだろうか……。
ウクライナは色んな民族や国、宗教が絡んできた国らしい。
であれば、放送を〝やめている〟今のうちに広く知識を付けておいて復活すれば、今後続けていくのにも役立つかもしれない……。
本を読んで力を付けていけば、自己投資として無駄になることもない。
そんな考えを抱いていました。
実際にロシア正教やユダヤ人などがテーマの本もいくつか読み、この時期に買って積んだ本も残っています。
で、大阪府堺市に出張で行くことになりました。
二か月だそうです。
……えーと、ウクライナやっている場合じゃないね。
大阪府堺市と言えば、『百舌鳥・古市古墳群』でしょう!
この二か月の間に――まあ、無理に放送まで行かなくても良いから、しっかり学び――駄目だ!
やるなら放送までしっかりやってこの場を去ろう!
そんなわけで2023年、年が明けて間もなく水をぶっかけられたように猛烈な勢いを向け、いくちゃん先生復活の時を迎えたのです。
大阪府堺市の次は、青森県に出張になりました。
『北海道・北東北の縄文遺跡群』に、『白神山地』……休めません。
必死になっては行き詰まり、勝手に壁にぶつかってはギラギラと戦意を滾らせながら、少しずつ自分なりの道を見つけつつあります。
小説書きとしては音楽は小道具に、世界遺産は大道具に。
世界遺産の人としては……それは、このホームページや配信動画をご覧ください。
Xにも出没しますが。
ウクライナは、これからやります。
『オデーサの歴史地区』で行きます。
当時積んであった本は持ってきてあります。
この文章を書いている今は2023年11月、青森の次は千葉に来ています。
初めて世界遺産のない地域に出張になりました。
それでも私は、この地でできることを精一杯重ねて力にしていきます。
いくちゃん先生は不滅にして、止まらない。
進むことをやめない全力のDREAMERです。