[ナスカの地上絵]消えない2000年前の地上絵の謎

歴史

南米ペルーの広域な世界遺産、『ナスカとパルパの地上絵』は砂漠のアートです。

「ハチドリ」に「猿」、幾何学的な多くの図形……度肝の抜くような壮大なアートは、一時はミステリアスなあまり宇宙人との関連も囁かれました。

ナスカの地上絵って?

積み重ねられた研究でわかったことと、未だにわからないこと……マヤ文字などのある中米と違って、南米アンデスに文字の記録はありませんでした。

しかし今では考古学を始めとして、様々な調査を通して、かなりの謎が解明されつつあります。

2000年前から現在まで、未だ消えないで残るナスカの地上絵の謎は、現在どこまで紐解かれているのでしょうか。

ナスカの地上絵の場所

南米ペルーは日本の約3.4倍の面積を持ちます。ナスカの地上絵はその南西です。

ペルーは複雑な地形と高度差が織りなす気候の多様性でも知られます。

熱帯雨林もあれば海岸もあり、赤道近く猛暑かと思えば、山頂は常に雪を抱いている。急峻なアンデス山脈を行き来すれば、少しの距離で見違えるほど生態系が変わります。

古来よりアンデス文明を生きた人々は、豊かな地域性を存分に利用してきました。数千メートルの高度差を当たり前に行き来し、それぞれの場所に適応した農牧業を連関させて生活してきました。

一方でナスカの地上絵が位置するのは、赤茶けた大地の広がる砂漠地帯です。

ペルーがあるのは太平洋岸。地図を見ればすぐそこに、太平洋という無限の水たまりがあります。しかし雨は全くと言って良いほど降りません。海岸地域は砂漠です。

ペルー南部海岸地域の砂漠の中に、ナスカの都市があります。地上絵はその近く。

砂漠はフンボルト海流という寒流が原因です。南極付近からのこの寒流の影響で、海表面が低温に保たれ雲ができず海岸は砂漠になります。ペンギンも泳ぐ立派な寒流です。

ナスカは年中強い日差しに晒された、雨のない不毛の大地に築かれた文明でした。

だから残るのです。

ナスカの地上絵が消えない理由

摩耗する土地になかったら消えません。

強風吹きすさぶ訳でもなく、生き物も行き交わないし雨も降らない。ナスカの砂漠は波打つ砂丘ではありません。ゴロゴロした砂利製の砂漠です。風化する原因が殆どないので消えないです。

ナスカの地上絵はごく簡単に作られています。砂漠に足で線を引けばOK。バリエーションがあっても、基本的に砂利を退けるだけというのは同じ。

酸化した赤い石ころを退ければ、白い地表が浮き出てきます。近くで見ると車の轍と大差ありません。曖昧で図柄にも見えないくらいです。しかし遠ざかるほど良く見えます。

いわゆるフォトモザイク、写真のモザイクアートのようなものです。曖昧な境界は距離を取るほどはっきり見えます。遠くから見れば図柄になる、シンプルな技法です。

シンプルでも、場所が場所なので消えないです。砂漠様様です。

もちろん文明を営めたくらいなので、近くに川はありました。ナスカ文明は灌漑農業と漁労で生計を立てていたそうです。時には増水による氾濫もあります。

しかし地上絵の場所も選びました。それくらいの知識はあります、洪水が起こっても安心です。

(……まあ、ダメだった場所の地上絵は消えちゃっているんでしょうが)

地上絵は簡単で事足りたのです。もちろん文明自体に、大掛かりな人手をかけられる組織性が足りていなかった事情もありそうです。同時期の北海岸では、南のナスカとは違って大規模なピラミッド型の建造物が作られました。

しかし保存性の観点で言えば、これで充分でした。

……とはいえ、現代の気候変動で事情も変わりつつあるようです。普段降らない場所に雨が降り始めた結果、地上絵によっては――。

そもそも見つかってからも色々ありました。

政府が灌漑農地計画の場所に指定するとか、無知な観光客が踏み荒らしてしまうとか……生き物がいない? 人間がいるだろJK、という訳です。

地上絵が消えないのは保護しているからです。

2000年残った貴重な世界遺産。この先2000年くらいは、消えないと良いですね。

ナスカの地上絵の種類

さて、ナスカの地上絵には大きく二種類あります。

1000を超える線や図形の模様と、30程度の生き物の模様です。

全ての模様が完璧に解明されている訳ではありません。中には「海鳥とコンドル」、「猫と犬と狐」、または「海藻と木」のように、同じ模様でも違う解釈がされているものもあります。

解説を見て混乱した経験のある人もいるかもしれません。その意味で、ナスカの地上絵にはまだまだ謎があります。

とはいえわかっていることもあります。何故わかるんでしょう?

一番の研究素材は土器と織物です。

ナスカの人たちは織物技術に秀でていました。そこには多くの地上絵と同じモチーフが取り上げられています。土器も同じです。それを中心資料として、地上絵は徐々に読み解かれています。

例えば土器に描かれた「猿」は、農機具や農作物を手に持っています。肥料にもなる「海藻」は、魚の保存と輸送にも役立ちます。「狐」は神話で天から栽培植物をもたらしたとか。

1926年に最初に見つかった放射線状の図形も、狐がもたらした植物の種が飛び散る様子と言われます。

ナスカ文明は不毛の砂漠を耕して、灌漑農業で発展しました。

恵みの雨や豊穣という要素は、格別の意味を持っていたと考えられます。有名な「ハチドリ」はナスカで最も多く描かれる動物の地上絵ですが、これは水をもたらす神鳥と見做されたそうです。

ハチドリが飛ぶと山地に雨が降る。山で雨が降れば川が増水する……増水すれば、作物の実りが豊かになる。季節を告げる「海鳥」も同じです。

ナスカの地上絵は、豊穣儀礼の祈りを込めた、儀礼場だったという説が有力です。

ナスカの地上絵の様々な説

現代では「豊穣儀礼説」でファイナルアンサーの勢いですが、今までに色々ありました。

例えば「天文暦説」です。最初の頃はこれが通説でした。

この説で「猿」はおおぐま座、北斗七星だそうです。もちろん完全に現代の星座と一致する訳ではなく、頭の部分が猟犬座。夜明けの空にこれが昇る時、山に雨季が訪れる――。

「蜘蛛」はオリオン座。暮れの空に昇る時、山に雨が降るそうです。蜘蛛には「人間を生み出した」神話もあるとか。

直線は春分や秋分など、特別な日没や日の出の方角に向けて伸びていました。

ただ、今ではこの「天文暦説」は主要ではなくなってしまいました。解釈が恣意的で根拠が薄い、というような理由だそうです。土器の研究などから、「豊穣儀礼説」の根拠が定まってきた事情もありそうです。

とはいえ確実なことはわかりません。

数百年に渡って沢山描かれた地上絵です。全てが同じ目的と断言できるでしょうか。描く労力も低いのですから、個人的に遊びで描いてみる、なんてことすらできたかもしれません。儀礼場の真似で遊びの図形なんか書いたら、誰かにこってり絞られそうですが。

大勢どころか二人組で書いたなんて説もあるくらいなので、不可能ではなかったでしょう。

蜃気楼に向けて灌漑用水路を描いた、なんて説もあったとか。ナスカの地上絵の直線が、実在する用水路と規格が同じというのです。

時には時代背景を想起させられる説も。最初に挙げた「宇宙人説」は、1960年代の宇宙競争の時代に唱えられたとか。何でも宇宙に結び付けたかった時代ですね。知恵と想像力の豊かさは大したものですが、実際には地上絵は宇宙からは殆ど識別できないそうです。

まあ、細い線ですから。

まとめ

ミラドール(展望台)から見える、筆者イチ押しの一筆書きの海藻(キャッサバの木とも)  

ナスカの地上絵は、様々な危機に晒されながらも残され、大きく研究は進んできました。

実は日本の貢献も大きいです。山形大学です。続々新たな地上絵の発見がなされ、新ミラドール(展望台)の建設も行われています。

2021年9月現在、安易に外国旅行に行ける状況でもありませんが……。

通常、世界遺産『ナスカとパルパの地上絵』は、小型飛行機(セスナ)で空から見られます。全部は見られません、一部です。

「ナスカの地上絵」が有名ですが、「パルパの地上絵」も合わせた長めのフライトもあるとか。

パルパの地上絵はナスカより古くて、違った雰囲気が楽しめます。パルパの「ハチドリ」は丸っこくて可愛いのです。

実は当時のナスカの人々は、気球から地上絵を見たなんて説もあります。観光用のセスナからの眺めは、2000年前の古代の人たちと同じ目線かもしれません。情勢の落ち着いた折は、ぜひ検討してみてください。

作り方こそ簡単ですが、きっと写真ではわからない衝撃があります。

推しの地上絵を探すのも、楽しいかもしれませんね。

  

[主な参考文献]

地球の歩き方編集室『世界遺産 ナスカの地上絵 完全ガイド』(2010年)
楠田枝里子『ナスカ砂の王国 地上絵の謎を追ったマリア・ライヘの生涯』(1990年)

などなど!

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