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これが!古代エジプトのミイラの作り方

世界遺産のコラム
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ミイラとは簡単に言うと、死後の生き物が乾いて腐らず遺り続けたものです。

時には数千年を超えて、人の目に曝されます。
一体何をどうしたらこうなるのか。

そして、人為的に遺すにはどうするのか。

古来、ミイラは多くの国や地域で生まれ、遺されてきました。

人為的なミイラとして知られる最古のものは、南米チリのアタカマ砂漠のもの。
自力でミイラ化を目指す人々も、なんと日本にいたようです。
アジアのパプアニューギニアでは、今でもミイラ文化が残る地域もあるとか。

しかし、数ある文化の中で有名なのは、やはりエジプトのミイラでしょう。
乾燥処理から前後のことまで、古代エジプトのミイラの作り方を見ていきます。

古代エジプトのミイラは自然発生

カイロ・エジプト博物館。現在22体の王のミイラは、ここではなく国立エジプト文明博物館にいます。

エジプトはナイルと砂漠の国。

ミイラは様々な気象条件で生み出されてきましたが、やはり自然発生となれば乾燥気候に生まれやすいでしょう。
そもそも腐らず乾燥したものであるからです。

この地域では、南北に貫くナイル川以外、東西は熱砂に囲まれています。

人々の居住地は勿論ナイル周辺、緑豊かなオアシス地域。
ここで麦とか作って農耕していました。

しかし、一本しかない川の両岸が、貴重な農耕地帯ということは……。

生活圏に死人を埋葬していたら、土地が不足してしまいます。
増やせる農耕地には限界があるのです。

もちろん、あまりに遠くに葬るのも不便でしょう。
そこで古代エジプトの人たちは、砂漠とオアシスの境界を選びました。
緑の緑が途切れたあたり、熱砂の中に埋葬していた訳です。

砂漠自体は東西にありましたが、埋葬したのは特に西側ですね。
世界遺産『古代都市テーベとその墓地遺跡』でも、死者世界=ネクロポリスは西側でした。

太陽だって、毎日西で〝死んで〟いるでしょ?

古代エジプト人は、太陽は毎日死んで復活していると考えていました。

川の西側で熱砂に埋もれた遺体は、乾いた砂に水分を奪われていきます。
自然に乾燥処理を施され――ミイラになっていたのです。

これが古代エジプトでのミイラの自然発生メカニズムです。
実際のミイラの例として、赤毛のミイラが大英博物館にあるそうで。

新たな遺体を埋葬しようと、掘り返した砂からミイラを発見した人々は――一体何を考えたでしょうか?

繰り返す朝と夜、毎日変わらない気候、同じ時期に繰り返すナイルの氾濫……。
これはエジプトの人々の死生観に直結していきます。

すべてが繰り返すこの世界なら、死んでからも同じ世界を繰り返すのではないか。
太陽が毎日死んでは復活するように、人が死ねば人生も復活するんじゃないか。

これ、その時の身体になるんじゃないか?

そんな風に考えたかもしれません。

お墓を作ろう! 死後の世界で幸せに生きるための、立派なお墓を……!

で、重大なことが発覚しました。

一生懸命掘って、部屋を作って、棺を作って、遺体を入れたら……なんと、ミイラになっていない。

白骨化しちゃっているんですよ!

当たり前ですね、棺の周りに大事な熱砂はないですからね。

そんな訳で、ミイラづくりの試行錯誤が始まります。

ミイラの作り方の調べ方

エジプト最盛期の王たちと言えば、眠る場所は王家の谷! 有名なツタンカーメンのお墓だって入れちゃいます。

この記事のテーマに反旗を翻すようですが、昔の人がどうミイラを作ったかなんて、調べる術は多くありません。
古代エジプト人が遺した多くの書物にも、ミイラの作り方はあまり書いてありません。

本物を見たところで、「乾いているな、乾燥させたんだな」とはわかっても、ではどうやって乾燥させたかなんて……色んな手段は想定できますが、確実なことは言えません。

現地の人たちが書物に書かなかった理由は不明です。
当たり前すぎて必要なかっただけかもしれないし、逆に一部の専門家だけ知っていれば済んだだけなのかも。

しかし、情報源の貧困なこの技術を、ありがたいことに記してくれた旅人がいました。

そう、「エジプトはナイルの賜物」という言葉で有名な、ヘロドトスさん。
エジプトではなくギリシャの方が――それは恐らく、旅人だからこその物珍しさで、詳細に書き残してくれていたのです。

この方ほんと色んな地域を旅していまして、著書の『歴史』は有名ですね。

そして『歴史』の巻2はエジプト編。

地理や動物、宗教や政治について、色々と語ってくれています。

その中に「ナイルの賜物」の言葉もあるし、ミイラの作り方も……ぐっじょぶヘロドトスさん!
この方の記録のありがたさときたら!

もちろん一つの記録を鵜呑みにするわけにもいきません。
しかし、ゼロと一では大違いなのです。

ここからは『歴史』を参照して、古代エジプトのミイラの作り方を見ていきます。

順序は大きく……三段階くらいに分けられそうですね。

1、準備。腐りやすい内臓や脳を処理する。

2、天然のソーダで脱水処理。

3、包帯まきまき。

現代の実験や研究で修正しつつ、裏を取って確実性を高めていきます。

ミイラの作り方とは

これも王家の谷です。「王家の谷」って名前をつけたのは、ヒエログリフ解読のシャンポリオン氏だそう。敬愛。

1、 準備。腐りやすい内臓や脳を処理する。

最初に脳を摘出。

……いきなり脳を! と、人によっては衝撃かもしれません。
次の人生のために遺した身体は、思考も感情も排除された抜け殻なのか……。

そう考えると切ないですが、古代エジプト人は、脳は大して意味のないものだと思っていました。

思考は心臓が司るんですよ。
だから取っても何も問題ありません(※という考え方でした)。

そんな訳で、曲がった針金を左の鼻から入れます。

少々ショッキングな表現になるかもしれないので、苦手な方はお気を付けください。
入れた針金で、奥の骨を砕いて……脳まで到達したら、取りやすいように掻き回します。

形を保ったままよりも、崩してしまった方が取りやすいらしいです。
混ぜ終わったら、次にスプーン状の器具で引きずり出す。

ヘロドトスさんを信じるなら、この時薬品も使うとか。

さて、脳を取ったら内臓です、エチオピア石――火打石で脇腹を切開。

取り出した各種は椰子油で洗って、更に香料で清めます。

脳と違って、こちらは崩さないで取っておくんですね。
後で別でミイラにしますよ。

で、心臓だけは! 大事な大事な思考と感情を司る部位、魂や生命力の還る場所!

コイツぁ取っちゃあいけないぜ、遺体の中に残しておきます。
他の内臓とは重要度が違うのです。

そして他の内臓が入っていた場所、すっからかんでは困るので、香料を入れます。

ヘロドトスさん曰く、「純粋な没薬と肉桂および乳香以外の香料」だとか。

詰め終えたら、しっかり縫合して準備は終了です。

纏めると、「脳は要らない子、心臓は超重要、それ以外の内臓は別でミイラに」。

2、天然のソーダで脱水処理。

さあ脱水処理です! これがないと腐ってしまいます、大事です。

エジプトではソーダが取れるそうですよ。

ソーダと言うと炭酸水と思いたいところですが、どうやら〝固形〟のソーダだそう。
固形の……ソーダ?

解釈によると、固形の「炭酸ナトリウム」だと思われそうです。

もしかしたら重層みたいなのかもしれません。
正確なところはわかりませんが……。

ヘロドトスさんは「固形のソーダとは何か」なんて、事細かに描写してくれているわけじゃないのです。
しかし、エジプトでこれが取れるとは言っているので、その言葉を手掛かりに想定します。

炭酸ナトリウムだとして……実験によれば、40日くらい漬ければ人間サイズでも脱水完了だとか。

ヘロドトスさんは70日と言っていますが、これはミイラづくりの全行程と思われます。

少なくとも「乾燥に必要な日数」から考えると、ちょっと不自然。

ツタンカーメンみたいに急死してお墓がまだないと、この70日の間にお墓を準備するということですね。

さて、ミイラ自体はこれで完成します。
しかしこれだけでは問題があるのです。

乾燥したら干からびて――形が歪んでしまうのです。

ミイラは新たな人生における入れ物。
旅立った魂の還ってくる場所です。

ちゃんと元の形に近いようにしておかないと、魂が迷子になってしまいます。

それを防ぐための仕上げをしましょう。
乾く前のひと手間です。

手順1でも、内臓を抜いた代わりに香料を詰めました。
こういった詰め物は、肉体と同じようには乾かないので、形を保つのに役に立ちます。

体内や頬に適度な詰め物をして、良い形に収まるように工夫します。

……ちなみに、容貌を整えようと頬に詰め物しておいたら、やりすぎて縮んだ皮膚が突き破っちゃったとかね。
そんな話もあったり、ほら、埋葬した後もちょっと縮んで……。

3、包帯まきまき。

さて、整え終えたら包帯を巻きます。

これがね! 凄いんですよ、超大事!

ここで上手く巻けるかどうかで、その後のミイラの命運が左右されます。

丁寧に巻いても中が骨だけ、なんて困る訳で……。

綺麗にお守りごと巻き込んで保存するのは、物凄い技術なのです。

ミイラづくりの技術が最高潮に至ったのは、第21王朝の頃。
紀元前1000年くらいですね。

最初の頃は技術も発達途上で、上手く遺らないことも多かったようですよ。

ピラミッドとか、ミイラ出てきても……悲惨、とか……。

何せピラミッドって、第4王朝が隆盛の頃。
二千年くらい差があります。

イエス・キリストが生まれたと言われる二千年前と、現代の技術を比べてみれば一目瞭然。
それは大きな差になるわけです。

……古代エジプト、どれだけ続いたというのか……。

そしてせっかく綺麗に残っていても、人為的に棄損されたものも多いです。

例えば、巻き込まれたお守り目当てに包帯を解く墓泥棒。
よくいますね。

また例えば……副葬品を取り外したくて、くっついたミイラを切り落とす研究者……。

現代では大顰蹙ですが、考古学にも歴史があります。
歴史の事実を慎重に追及するより、豪華な副葬品のゲットが注目を浴びていた時代は……今よりもっと、墓荒らし的な側面も強かったのです。
ツタンカーメンのミイラも、そんな風にボロボロになったそう。

こう……埋葬する時に香料ぶっかけたせいで、ガチガチに棺や仮面にくっついていたそうで……。

そんな事件はありますが、それでも包帯まきは大事。

まずは残らなきゃ、何にも始まらないですからね!

古代エジプトのミイラの埋葬

ツタンカーメンの王墓から出たと噂の「ツタンカーメンのエンドウ豆」。本当かどうかは謎、興味があったら調べてどうぞ(笑)

さて、ミイラが出来たらお墓に入れねば!

……なんですが、この時、遺族に渡されるのはミイラだけではありません。

まず「遺体に触れたすべてのもの」、つまり、乾燥させるのに使ったソーダとかです。
毛髪の欠片とか、混じっているかもしれないので。
混じっていたらこう、本人の残滓みたいのが、あちこちに分散するので。

そしたらほら、本人に戻ってこようとする魂が……迷子に……。

という訳で、本体と同じくミイラにした内臓はもちろん、あらゆるものが引き渡されます。
一時的に詰めたものや、清めるのに使った油や香料もすべて。

色々と壺に詰めて引き渡され、すべてが一緒に埋葬されることになります。
迷子対策です。

もちろん、王や王族ならお墓も豪華!

内臓の壺だってお墓の内部で、専用の厨子に入れられていたりします。
広い部屋で近くに埋葬する方が、迷子対策も確実ですね。

この香料やソーダを「副葬品」と言うかは……難しいところですが……。
実はこれでも足りません。
ここまで念入りにミイラにしても、その後子孫の供養が行われなくなると、大変です!

戻ってきた魂が食事できないと、死んじゃう。

古代エジプトでは「生まれ故郷で死ぬのが一番」だったそうですが、供養の問題がないとは思えません。

周り見ていると不安ですよね! 既に供養されていないお墓なんて、いくらでもありますもの。
権力者であれば、政敵に追いやられても放置されるかもしれません。

そんな訳で代わりの人形を用意したり、呪文をあちこちに準備したり……。

お墓と供養する場所を分けて、墓泥棒対策したり……。

死後の世界でも楽できるように、代わりに働いてくれる人形を用意したりも……。

古代エジプト人、死後の世界への探究は永遠に続きます。

まとめ

実際のミイラはこんなに包帯雑じゃないよ! そんなことしたら劣化しちゃう!(笑)

エジプトのミイラは長い時間をかけて発達していきました。

最初は熱砂で自然発生したものも、数千年をかけて突き詰めていけば、どこまで美しく仕上がるのか……。
職人技の奇跡に興味が湧いたら、エジプトのカイロに行ってみると良いかもしれません。

いくちゃんは行きたい、エジプト文明博物館行きたい。

超行きたい。

あと……ソーダって凄いんですね……。

これもすべてナイルの賜物。

ヘロドトスさんのこの言葉は、本来地中海に近いデルタ地帯を指したものと思われます。
ナイルのお陰で豊かな緑が生まれ、安定した農耕がエジプト社会を育んだ。

しかしミイラだってナイルの賜物です。
ナイルの作ったエジプトの環境が、こんな文化を生み出したのです。

安定した日々、必ずやってくる明日……それはエジプト人の想像を掻き立て、必ず来る死後のための準備を磨かせました。

古代エジプト人は前向きでストイックですね。

死後のことばかり考えて悲観的、なんてとんでもない!
一生懸命頑張って、未来の安寧を確実なものにするために。

永遠に生きるかのように日々を積み上げ、明るい未来への準備を重ねました。

過去も現在も未来も、古代エジプト人にとっては一つながり。
彼らは果たして、良い来世を手にできているでしょうか。

一生懸命、生きたいものです。

 

この記事を面白い! と思ってくれた方は、こちらの動画もどうぞ!

ツタンカーメンのミイラの話や、墓泥棒の話もあります。

 

[主な参考文献]

笈川博一『古代エジプト 失われた世界の解読』(中公新書、1990年)
ザヒ・ハウス『黄金王ツタンカーメンの素顔-世界初のCTスキャン調査-』(2007年)

などなど!

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