古代エジプトのミイラの作り方って?

世界遺産のコラム

三千年も四千年も昔の人が、骨だけでなく皮膚や内臓まで現代に遺してみせた!

一体何をどうしたらこうなるのか。

乾燥処理から前後のことまで、古代エジプトのミイラの作り方を見ていきます。

エジプトのミイラは自然発生

カイロ・エジプト博物館。現在22体の王のミイラは、国立エジプト文明博物館に移動済み!

エジプトはナイルと砂漠の国!

南北に貫くナイル川以外、東西は熱砂に囲まれています。

人々の居住地は勿論ナイル周辺、緑豊かなオアシス地域。

ここで麦とか作って農耕していました。

じゃあ人が死んだらどうする? もちろん貴重なオアシスに埋葬していたら、土地が足りなくなっちゃいます。

そんな訳で昔のエジプト人たちは、砂漠とオアシスの境界、緑の緑がちょっと途切れたあたりの熱砂の中に埋葬していた訳です。

特に西側! 何と言っても太陽が沈むのは西ですから、死後の世界もそっちです。

太陽だって、毎日西で〝死んで〟いるでしょ?

古代エジプト人は、太陽は毎日死んで復活していると考えていました。

さて結果、乾いた熱砂に水分を取られた遺体は、自然に乾燥処理を施され――ミイラになっていたのです。

勝手にミイラになったんですよ。

この自然発生のミイラの例として、赤毛のミイラが大英博物館にあるとか。

新たな遺体を埋葬しようと、掘り返した砂からミイラを発見した人々は――一体何を考えたでしょうか?

毎日死んでは復活する太陽、毎日変わらないカンカン照り、毎年定期的に起こるナイルの氾濫……。

だったらこの生の世界も、終わったら次の同じ世界が待っているはず。

太陽が復活するように、人間だって復活するはず。

このミイラもその時のために、大事にしておくべきじゃないか。

そんな風に考えたかもしれません。

お墓を作ろう! 死後の世界で幸せに生きるための、立派なお墓を……!

で、重大なことが発覚しました。

一生懸命掘って、部屋を作って、棺を作って、遺体を入れたら……なんと、ミイラになっていない。

白骨化しちゃっているんですよ!

当たり前ですね、棺の周りに大事な熱砂はないですからね。

そんな訳で、ミイラづくりの試行錯誤が始まります。

ミイラの作り方の調べ方

エジプト最盛期の王たちと言えば、眠る場所は王家の谷! 有名なツタンカーメンのお墓だって入れちゃいます。

ミイラの作り方を教えてくれる書物は、殆どありません。

古代エジプト人ってね、色んな書物残しているんですよ。

でもミイラの作り方はあんまり書いていないです。

もしかしたらこう、秘伝技術とかで書かれなかったのかもですし、知っていて当たり前の職人さんたちだけしか知る必要がなかったのかもですね。

……単に藻屑になっちゃっただけかもですが(笑)

そんな訳で、代わりに残してくれたのがあの有名な――。

そう、「エジプトはナイルの賜物」という言葉で有名な、ヘロドトスさん。

この方ほんと色んな地域を旅していまして、著書の『歴史』に書き残しています。

そして『歴史』の巻2はエジプト編。

地理や動物、宗教や政治について、色々と語ってくれています。

その中に「ナイルの賜物」の言葉もあるし、ミイラの作り方も……ぐっじょぶヘロドトスさん!

色々書籍を読んでいると本当わかるんですが、ヘロドトスさんの記録のありがたさときたら!

さて『歴史』を参照して、ミイラの作り方は大きく……三段階くらいに分けられそうですね。

1、準備。腐りやすい内臓や脳を処理する。

2、天然のソーダで脱水処理。

3、包帯まきまき。

現代の実験や研究で修正しつつ、順番に見ていきます。

ミイラの作り方とは

これも王家の谷です。「王家の谷」って名前をつけたのは、ヒエログリフ解読のシャンポリオン氏だそう! 敬愛。

1、 準備。腐りやすい内臓や脳を処理する。

最初に脳髄を摘出。

……いきなり脳を取っちゃう! 古代エジプト人は、脳は大して意味のないものだと思っていました。

思考は心臓が司るんですよ。

そんな訳で、曲がった針金を左の鼻から入れます。

奥の骨を砕いて……更に侵入、まずは取りやすいように引っ掻き回す。

次にスプーン状の器具で、引きずり出します。

ヘロドトスさんを信じるなら、この時薬品も使うとか。

さて、脳髄を取ったら内臓です、エチオピア石――火打石で脇腹を切開。

取り出した内臓は椰子油で洗って、香料でまた更に清めます。

取っておいて、別でミイラにしますよ。

で、心臓だけは! 大事な大事な思考と感情を司る部位、魂や生命力の還る場所!

コイツぁ取っちゃあいけないぜ、遺体の中に残しておきます。

そして他の内臓が入っていた場所、すっからかんでは困るので、香料を入れます。

「純粋な没薬と肉桂および乳香以外の香料」だとか。

詰め終えたら、しっかり縫合して準備は終了です。

2、天然のソーダで脱水処理。

さあ脱水処理です! これがないとまた白骨化しちゃいます、大事です。

エジプトではソーダが取れるそうですよ。

ソーダって言うと炭酸水思い浮かべるでしょ、違うんです、どうやら固形のソーダっぽい。

……多分、固形の「炭酸ナトリウム」ってことでしょうね?

もしかしたら重層みたいなのかもですが、私の参照した書籍だと「ソーダ」って書いてあったから……正確なところはわからないんだ……。

失礼、わかったら更新します。

それはともかく、これに……実験によれば、40日くらい漬ければ人間サイズでも脱水完了だとか。

ヘロドトスさんは70日と言っていますが、これはミイラづくりの全行程と思われます。

少なくとも「乾燥に必要な日数」から考えると、ちょっと不自然。

で、ツタンカーメンみたいに急死してお墓がまだないと、この70日の間に準備することになります。

さて、乾燥したら干からびちゃう。

当たり前です、干からびさせたんだもの。

でもミイラって、ちゃんと元の形に近いようにしておかないと、魂が迷子になっちゃいますからね、結構工夫するんですよ。

縮んだ後で形を整える作業です。

容貌を整えようと頬に詰め物しておいたら、やりすぎて縮んだ皮膚が突き破っちゃったとかね。

そんな話もあったり、ほら、埋葬した後もちょっと縮んで……。

まあそれは失敗した場合です、頬や体内に詰め物をします。

3、包帯まきまき。

さて、整え終えたら包帯を巻きます。

これがね! 凄いんですよ、超大事!

ここで上手く巻けるかどうかで、その後のミイラの命運が左右されます。

丁寧に巻いても中が骨だけ、なんて困る訳で……。

綺麗にお守りごと巻き込んで保存するのは、物凄い技術なのです。

ミイラづくりの技術が最高潮に至ったのは、第21王朝の頃。

紀元前1000年くらいですね。

最初の頃は技術も発達途上で、上手く遺らないことも多かったようですよ。

ピラミッドとか、ミイラ出てきても……悲惨、とか……。

何せピラミッドって、第4王朝が隆盛の頃、数字見ただけで時代全然違うでしょ。

二千年くらい差がありますね。

今から見て丁度二千年前、つまり大体イエス・キリストが生まれた頃の時代と、現代の技術を比べてみればわかる。

……古代エジプト、ぱねぇっすねw(笑)

そしてせっかく綺麗に残っていても、人為的に棄損されたものも多いです……。

例えば、巻き込まれたお守り目当てに包帯を解く墓泥棒。

例えば……研究のために副葬品を取り外したくて、くっついたミイラを切り落とす研究者……。

現代ではさすがにそんなことをすれば大顰蹙ですが、ツタンカーメンのミイラはそんな風にボロボロになったそう。

こう……埋葬する時に香料ぶっかけたせいで、ガチガチに棺や仮面にくっついていたそうで……。

そんな事件はありますが、それでも包帯まきは大事。

棄損する前に残らなきゃ、何にも始まらないですからね!

エジプトのミイラと副葬品(?)

ツタンカーメンの王墓から出たと噂の「ツタンカーメンのエンドウ豆」。本当かどうかは謎、興味があったら調べてどうぞ(笑)

さて、ミイラが出来たらお墓に入れねば!

……なんですが、この時、遺族に渡されるのはミイラだけではありません。

まず「遺体に触れたすべてのもの」、つまり、乾燥させるのに使ったソーダとかです。

だってほら、毛髪の欠片とか、混じっているかもじゃないですか?

混じっていたらこう、本人の残滓みたいのが、あちこちに分散するじゃないですか?

そしたらほら、本人に戻ってこようとする魂が……迷子に……。

という訳で、本体と同じくミイラにした内臓や、一時的に詰めたもの、清めるのに使った油や香料。

色々と壺に詰めて引き渡されるそうです。

これをお墓の近くに埋めます。これで魂も安心ですね。

もちろん、王や王族ならお墓も豪華!

内臓の壺だってお墓の内部で、専用の厨子に入れられていたりします。

近い方が迷子対策も確実、という訳ですね!

この香料やソーダを「副葬品」と言うかは……難しいところですが……。

あ、もちろん別で色々副葬品は用意しますよ、特に王や(ry

とはいえここまで念入りにミイラにしても、その後子孫の供養が行われなくなると、大変です!

戻ってきた魂が食事できないと、死んじゃう。

古代エジプトでは「生まれ故郷で死ぬのが一番」だったそうですが、供養の問題がないとは思えません。

でもやっぱ周り見ていると不安ですよね! 既に供養されていないお墓なんて、いくらでもありますもの。

そんな訳で代わりの人形を用意したり、呪文をあちこちに準備したり……。

お墓と供養する場所を分けて、墓泥棒対策したり……。

死後の世界でも楽できるように、代わりに働いてくれる人形を用意したりも……。

古代エジプト人、死後の世界への探究は永遠に続きます。

まとめ

実際のミイラはこんなに包帯雑じゃないよ! そんなことしたら劣化しちゃう!(笑)

エジプトのミイラは長い時間をかけて発達していきました。

最初は熱砂で自然発生したものも、数千年をかけて突き詰めていけば、どこまで美しく仕上がるのか……。

職人技の奇跡に興味が湧いたら、エジプトのカイロに行ってみると良いかもしれません。

いくちゃんは行きたい、エジプト文明博物館行きたい。

超行きたい。

あと……ソーダって凄いんですね……。

これもすべてナイルの賜物。

ヘロドトスさんのこの言葉は、本来地中海に近いデルタ地帯を指したものと思われます。

ナイルのお陰で豊かな緑が生まれ、安定した農耕がエジプト社会を育んだ。

しかしミイラだってナイルの賜物です、ナイルの作ったエジプトの環境が、こんな文化を生み出したのです。

安定した日々、必ずやってくる明日……それはエジプト人の想像を掻き立て、必ず来る死後のための準備を磨かせました。

古代エジプト人は前向きでストイックですね。

死後のことばかり考えて悲観的、なんてとんでもない! 未来に一生懸命で頑張り屋だったんです。

永遠に生きるかのように日々を積み上げ、未来を見据える!

一生懸命、生きたいものです。

 

この記事を面白い! と思ってくれた方は、こちらの動画もどうぞ!

ツタンカーメンのミイラの話や、墓泥棒の話もありますよ!

 

[主な参考文献]

笈川博一『古代エジプト 失われた世界の解読』(中公新書、1990年)
ザヒ・ハウス『黄金王ツタンカーメンの素顔-世界初のCTスキャン調査-』(2007年)

などなど!

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