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世界の半分を支えた!ポトシ銀山の水銀アマルガム法

ポトシの景色 世界遺産のコラム
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かつて全世界の半分の銀を産出したのが、ポトシ銀山。

そのポトシ銀山を中心に発展した街こそが、1987年に世界遺産リストに登録されたボリビアの『ポトシ市街』です。
ポトシでの銀採掘量は、100年間で1万5000トンーー世界の半分に及びます。

当時の銀流通量を6~7倍にも跳ね上げさせました。
この富により、ポトシの人口は当時のメキシコシティを超え、アメリカ大陸最多を記録します。

高度4000mを越えるポトシは寒くて酸素も薄く、動植物には恵まれません。
代わりにあったのが鉱物――銀だったのです。

銀と言えば、日本の世界遺産『石見銀山遺跡とその文化的景観』も知られています。
しかし純粋な規模で言えば、ポトシに敵う地域はないでしょう。

世界レベルを支えた功労者、ポトシ銀山の水銀アマルガム法について見ていきます。

水銀アマルガム法とは

電球が割れると水銀が飛び散って危ないので、いつも周りを透明素材で封じられる水銀灯。

アマルガム法とは水銀を使った金や銀の精錬方法です。
銀に限られるわけではないし、〝アマルガム〟と言えば水銀の合金です。

よって、単にアマルガム法と言うだけで水銀なのはわかりますが、金と銀のどちらを対象としたものかはわかりません。
これをはっきりさせるため、普段は「金アマルガム」や「銀アマルガム」とも言うみたいです。

しかし色々な文献を参照すると、割と「水銀アマルガム法」って書いてあります。
現代科学分野での用法と、歴史学での用法が別で混在しているのかもしれませんね……。

アマルガムは精錬以外でも使われます。

日本の世界遺産『古都奈良の文化財』の構成資産、東大寺の大仏は有名ですね。
〝奈良の大仏〟は金アマルガムで金メッキを施され、かつては金ぴかに輝いていました。
金だけを塗るのは大変ですが、アマルガムを塗ってから水銀を揮発させれば簡単です(※危険ですが)。

歯科治療でも銀アマルガムの銀歯が使われました――過去形です。
健康に悪いので今では保険適用外だそうです。

水銀は言わずと知れた危険物です。
金属は消化できないので、基本的に身体に残り続けます。
東大寺の大仏も、建造時に多くの被害者を出したとか。

アマルガムを使ったメッキは、古今東西多く利用されてきました。

特に金は吸い込まれるように包み込むので、金メッキを施す職人が対策として金貨を砕いて食べる、なんてこともしたとか。
胃の中でアマルガムにしてしまえば、消化されず外に出るというのです。

――もちろん、過去にされていたからと言って、それが本当に有効かどうかは別です。

願掛けみたいなものなんでしょうか。
それとも多少なりと効果があったのか……いずれにしても、金貨を砕くなんて普通にコストがえげつないですよね。

何にせよ、アマルガムになるのは、金や銀だけが殆どです。
これが〝水銀アマルガム法〟のポイント。

銅や錫とも結合はするんですが、結びつきやすさが違うのでしょうね。
水銀にかかればどれだけ不純物が混ざっていても、ほぼ金や銀だけを鉱石から分離してくれます。

そして水銀は温めれば簡単に揮発します。
メッキに利用するのもこの性質ですし、鉱物の精錬でも使えますね。
水銀が揮発すれば、残るのは欲しかった純粋な金や銀です。

これで相当な純度を実現しました。

更に揮発した水銀は集めれば再利用可能!

アマルガムは便利です。
水銀アマルガム法は精錬業界に革命を起こしたのです。

ポトシ銀山の銀精錬革命

フォークリフトなんて便利なもの、当時のポトシには存在しません……。

元々ポトシの銀は、溶鉱炉で融解させて精錬していました。

しかし、ふいごや送風機を使っても上手く行かないそうです。
代わりにその日の天候に合わせ、天然風の上手く当たる場所に炉を運んだとも言います。

毎日風の動きを見て、風向が変わる度に炉を移動させる……。
その都度銀鉱石を運び、精錬が終わればその日の道でまた移動……。

もちろん全て人力です。
とんでもない手間ですね。

その上、鉱石によっては精錬のしやすさも違います。
上手く鉛が混じっていればラッキー。
そうでないと近くの丘から鉛鉱石を持ってきて、混ぜ合わせて精錬しやすくします。
鉛質が少ないと乾いていて、燃えて煙になってしまうそうです。

一々混ぜ合わせるのも大変だからか、普通に精錬できない銀は、屑として捨てられていたという話も。
この辺の記述は、当時南米を征服したスペインの記録者(クロニスタ)たちが、観察して記述を遺しています。

しかしこの屑鉱こそ、少ない水銀で精錬するのに適していたのです。

水銀アマルガム法の導入で、何が起こったか言うまでもありません。
今まで扱いに困っていた屑鉱が、あっという間に〝銀の卵〟になったのです。

ポトシの銀産出量は大きく増えました。

昔ながらの溶鉱炉での精練は減りました。
丘を覆う常夜灯のように6000以上あった炉は、水銀アマルガム法の登場で、1000や2000程度にまで減ったそうです。

導入は、1571年のことでした。ポトシ銀山発見から26年です。

恵まれていたのは、近隣の中部高地ワンカベリカに、手ごろな水銀鉱山があったことでした。
まさにポトシのためにある精錬法といっても過言ではない。

何を隠そう、ペルーのワンカベリカの水銀はメキシコまで輸出され、メキシコの銀山で水銀アマルガム法に使われていたものです。
ワンカベリカからリマの港へ、そしてメキシコへ。

それはそうと、もっと近くにもっと大きな銀山があるんだけど……ポトシ銀山って言うんだけど。

……何をやっているんだ。

ポトシの人々よりも先に、メキシコの人々は水銀アマルガム法を知っていたのです。

ワンカベリカの水銀

もっとも、ワンカベリカの水銀鉱山が発見されたのは1563年でした。

ポトシ銀山が見つかった1545年には、まだ知られていなかった鉱山です。
もっと言うと水銀アマルガム法自体、銀山の発見より後に生まれた新技術でした。

それでも水銀アマルガム法が生まれてから、ポトシでの導入に数年はかかっています。
メキシコとは同じスペイン帝国内なのに、やはり担い手が違うからでしょうか。

まあ今の日本でも、企業が違えば技術は違いますからね。
それでも銀が欲しくて堪らないスペイン本国を思えば、何とも切ない損失です。

導入はメキシコからやってきた、ベラスコ氏の提言によるものでした。

元々インディオは水銀は無視していました。
「水銀」という言葉もなかったそうです。

昔はあった言葉だとしても、文字がないから使わないとすぐ忘れられたとか。

代わりに朱砂(すさ)――辰砂(しんしゃ)とも言いますが、硫化水銀は顔料として使っていました。
とても高級だったそうです。

インディオの間で「イチュマ」と呼ばれ、若い娘のみが目じりからこめかみに向けて線を引くように使いました。
男性も年配女性も使わず、高級なので普段使いもされませんでした。

お祭りのおめかしのような感じだそうです。

この朱砂を見て、水銀鉱山の存在を嗅ぎつけたのがポルトガルのエンリケ・ガルセス氏。
イチュマの正体に気づいた彼が鉱山に行くと、見事水銀が見つかったという訳です。

当時メキシコでは既に水銀アマルガム法が使われていました。
こぞって採掘されて船で運ばれたそうですよ。

メキシコへ。

幸いなことに、近所のポトシは水銀アマルガム法をまだ知らない。
メキシコの人々からすれば、しめしめラッキー、というわけですね。

ポトシへの導入は、更にそこから8年を待つことになるのに……。

いざポトシ銀山に利用することになると、メキシコへの輸送は止められたそうです。
ポトシで独り占め! という訳ですね。

まとめ

ポトシの風景。見るからに荒野の高地ですが、この地域は銀の富を求めた人たちで、16万人を超えて繁栄しました。  

ポトシ銀山の繁栄は、水銀アマルガム法ありきでした。

元々は自然の風を使い、面倒な思いをして銀の精錬をしていたポトシ……。
しかし、水銀アマルガム法によって精錬に革命が起こり、屑鉱も全て銀として輸出できるように。

金や銀のみと簡単に結びつくことに加え、揮発しやすい水銀の便利な性質――。
そして、地理的に近い二つの鉱山が肝でした。

ポトシ銀山は、世界の銀流通量を大幅に押し上げました。
その功労者こそ、水銀アマルガム法だったのです。

1571年に水銀アマルガム法を導入したのが、あの副王フランシスコ・デ・トレドです。
ポトシ銀山の運営を見越してスペイン本国から派遣され、クスコの視察をしていた折でした。

この後トレド時代を通して、ポトシ銀山は繁栄します。

……一方で、膨大に跳ね上がった銀流通量の結果として、ヨーロッパでは価格革命が起こったとも言われます。
銀の価値が下がったことによるインフレです。

副王トレドと言えば、南米植民地史を語るに外せない人物です。
その業績と、価格革命の流れの中心こそが、ポトシ銀山だったかもしれません。

日本の世界遺産『石見銀山遺跡とその文化的景観』とは違い、ポトシでは今でも採掘がされています。
鉱山のツアーで採掘見学もできるとか。

さすがに水銀アマルガム法の現場は見学できないとしても、採掘現場を見るだけでも興味深いですね。

雰囲気や労働の様子はもちろん、鉱石を見て精錬に思いを馳せるのも楽しいかもしれません。

……尤も、さすがに往時の大繁栄は残っていないようです。
ボリビア現代の世界遺産『ポトシ市街』は、鉱山管理が不十分であるとの理由で、2014年以降は危機遺産リストに登録されています。

  

[主な参考文献]

NPO法人世界遺産アカデミー『世界遺産大事典(下)』(2020年)
ホセ・デ・アコスタ『新大陸自然文化史(上)』(第4巻 第五章~第十三章)増田義郎訳(大航海時代叢書Ⅲ、1966年)
インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベガ『インカ皇統記(四)』(第8の書 25章)牛島信明訳(岩波文庫、2006年)

などなど!

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