[ポトシ市街]ポトシ銀山の水銀アマルガム法

ポトシの景色 歴史

かつて全世界の半分の銀採掘量を誇ったのが、ポトシ銀山。

そのポトシ銀山を中心に発展した街こそが、ボリビアの世界遺産『ポトシの市街』です。

膨大な銀採掘量は、100年間で1万5000トン。

莫大な富によりポトシの街は繁栄します。人口は当時のメキシコシティを超え、アメリカ大陸最多を記録しました。

高度4000mを越えるポトシは寒くて酸素も薄く、動植物には恵まれません。それでもあらゆるものが集まり、街は賑わったと言います。

なお、同じ頃に世界の「四分の一」を担っていたのが、日本の石見銀山です。『石見銀山遺跡とその文化的景観』として世界遺産になっていますね。言わばポトシは石見のライバルでしょうか。

ダブルスコアで突き放されていますが。

世界レベルを支えた功労者、ポトシ銀山の水銀アマルガム法について見ていきます。

水銀アマルガム法とは

アマルガム法とは水銀を使った金や銀の精錬方法です。

水銀アマルガム法、と書かず、単にアマルガム法でも通じます。というか、元々アマルガムが水銀の合金のことで、これを使うから「アマルガム法」と言います。

むしろ水銀と結合する金属に由来して、「金アマルガム」や「銀アマルガム」とも言うみたいです。

だったら「水銀アマルガム」は水銀と結合しているのかというと、そんな訳はないので……というか全てがそうなので、突き詰めると変な感じがしますね。

しかし色々な文献を参照すると、割と「水銀アマルガム法」って書いてあります。理由は知りません。

アマルガムは精錬以外でも使われます。東大寺の大仏が輝いたのは、金アマルガムで金メッキを施したからです。歯科治療でも銀アマルガムの銀歯が使われました――過去形です。

今は銀歯自体あまり見かけませんね、アマルガム製の銀歯は既に保険適用外だとか。というか健康に悪いので、もしあったら換えてもらった方が良いです。

東大寺の大仏も、建造時に多くの水銀中毒者を出したとか。

昔は金ぴかだったのです。金アマルガムを大仏に塗ってから、温めれば水銀は揮発して金ぴかの金メッキです。

このアマルガムを使ったメッキは、古今東西多く利用されてきました。

水銀は金や銀と割と簡単にくっついてしまうそうです。

特に金は吸い込まれるように包み込むので、金メッキを施す職人が中毒対策で金貨を砕いて食べる、なんてこともしたとか。胃の中でアマルガムにしてしまえば、消化されず外に出るというのです。

身内の化学のエキスパートに、金貨の効果を聞いてみました。聞いたことない、そんなに上手くいくのか、と言われました。貴重な金をそんなことに使うのか、とも。

うーん……。

まあ実際にやったかはともかく、効果は謎な気がしますね。吸った水銀が行くのは胃じゃなくて肺ですし。

願掛けみたいなものなんでしょうか、それとも多少なりと効果があったのか。

ともあれ合金になるのは金や銀だけが殆どです。その他の土くれや別の鉱石は無視されます。銅や錫とも結合はするんですが、結びつきやすさが違うのでしょうね。

水銀にかかればどれだけ不純物が混ざっていても、ほぼ金や銀だけを鉱石から分離してくれます。

そして水銀は温めれば簡単に揮発します。残るのは欲しかった純粋な金や銀です。これで相当な純度を実現しました。

更に揮発した水銀は集めれば再利用可能!

アマルガムは便利です。水銀アマルガム法は精錬業界に革命を起こしたのです。

ポトシ銀山の銀精錬

元々ポトシの銀は、溶鉱炉で融解させて精錬していました。

しかしふいごや送風機を使ってもダメだそうです。代わりにその日の天候に合わせ、天然風の上手く当たる場所に炉を運んだとも言います。

これだけでとんでもない手間です。

その上、鉱石によっては鉛が混じって上手く精錬できるようですが、そうでないと近くの丘から鉛鉱石を持ってきて混ぜ合わせたとか。鉛質が少ないと乾いていて、燃えて煙になってしまうそうです。

一々混ぜ合わせるのも大変だからか、普通に精錬できない銀は、屑として捨てられていたとか。

しかしこの屑鉱こそ、少ない水銀で精錬するのに適していたのです。

水銀アマルガム法の導入で、何が起こったか言うまでもありません。ポトシの銀の産出量は大きく増えました。

昔ながらの溶鉱炉での精練は減りました。丘を覆う常夜灯のように6000以上あった炉は、1000や2000程度にまで減ったそうです。

水銀アマルガム法の導入は、1571年のことでした。ポトシ銀山発見から26年です。

恵まれていたのは、近隣に水銀鉱山があったことでした。今のペルーの中部高地にあるワンカベリカです。

なお今のペルーの東隣が、ポトシ銀山のある今のボリビアです。

何を隠そうワンカベリカの水銀は、メキシコの銀山で水銀アマルガム法に使われていたものです。ワンカベリカからリマの港へ、そしてメキシコへ。

それはそうと、もっと近くにもっと大きな銀山があるんだけど……ポトシ銀山って言うんだけど。

……何をやっているんだ。

ワンカベリカの水銀

もっとも、ワンカベリカの水銀鉱山が発見されたのは1563年でした。

ポトシ銀山が見つかった1545年には、まだ知られていませんでした。もっと言うと水銀アマルガム法自体、銀山の発見より後の新技術でした。

それでも導入に数年はかかっています。ポトシが技術的に遅れていたのか、資金をケチったのか……同じスペイン帝国内なのに、やはり担い手が違うからでしょうか。

まあ今の日本でも、企業が違えば技術は違いますからね。それでも銀が欲しくて堪らないスペイン本国を思えば何とも言えない損失に思えます。

導入はメキシコからやってきた、ベラスコ氏の提言によるものでした。

元々インディオは水銀は無視していました。「水銀」という言葉もなかったそうです。昔はあった言葉でも、文字がないから使わないとすぐ忘れられたとか。

代わりに朱砂(すさ)――辰砂(しんしゃ)とも言いますが、硫化水銀は顔料として使っていました。

とても高級だったそうです。

インディオの間で「イチュマ」と呼ばれ、若い娘のみが目じりからこめかみに向けて線を引くように使いました。男性も年配女性も使わず、当然高級なので普段使いもされませんでした。

お祭りのおめかしのような感じだそうです。

この朱砂を見て、水銀鉱山の存在を嗅ぎつけたのがポルトガルのエンリケ・ガルセスでした。

イチュマの正体に気づいた彼が鉱山に行くと、見事水銀が見つかったという訳です。当時メキシコでは既に水銀アマルガム法が使われていました。こぞって採掘されて船で運ばれたそうですよ。

メキシコへ。

ポトシへの導入は、更にそこから8年を待つことになるのに……。

いざポトシ銀山に利用することになると、メキシコへの輸送は止められたそうです。ポトシで独り占め! という訳ですね。

まとめ

ポトシの風景。見るからに荒野の高地ですが、この地域は銀の富を求めた人たちで、16万人を超えて繁栄しました。  

ポトシ銀山の繁栄は、水銀アマルガム法ありきでした。

1571年に導入したのがあの副王フランシスコ・デ・トレドです。ポトシ銀山の運営を見越してスペイン本国から派遣され、クスコの視察をしていた折でした。

副王の役職についたのは翌年からですが、既に改革は開始していたんですね。

この後トレド時代を通して、ポトシ銀山は繁栄します。

副王トレドと言えば南米植民地史を語るに外せない人物です。その業績と世の中の流れの中心こそが、ポトシ銀山だったかもしれません。

日本の石見銀山とは違い、ポトシでは今でも採掘がされています。往時の繁栄こそないですが、鉱山のツアーで採掘見学もできるとか。

さすがにアマルガム法利用の現場は見学できないと思いますが、採掘現場を見るだけでも興味深いですね。

雰囲気や労働の様子はもちろん、鉱石を見て精錬に思いを馳せるのも楽しいかもしれません。

  

[主な参考文献]

ホセ・デ・アコスタ『新大陸自然文化史(上)』(第4巻 第五章~第十三章)増田義郎訳(大航海時代叢書Ⅲ、1966年)
インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベガ『インカ皇統記(四)』(第8の書 25章)牛島信明訳(岩波文庫、2006年)

などなど!

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