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[クスコ市街]インカ帝国初代皇帝が、クスコを首都に定めた時の建国神話

クスコの風景 世界遺産のコラム
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現ペルーのアンデス高地にあるクスコは、ありし日のインカ帝国の首都です。名前は「へそ」を意味します。「ここが世界の中心だ!」という理念です。

茶色い色彩が目を引くこの街は、なんと標高3400m。街自体が『クスコ市街』という世界遺産を持っています。現在はあの世界遺産『マチュ・ピチュ』の入り口としても繁栄していますね。

気分としてはここから天空都市へ「登っていく」のですが、実はマチュピチュより更に1000m高いです。アンデス高地の文明はデフォルトが高い。

さてそんなインカ帝国の中心地、クスコを建設したのは初代皇帝だそうです。

インカの「初代」といえば、「マンコ・カパック」です。

伝説によればこの初代皇帝マンコ・カパックの時代、クスコは首都として建設されました。集落のようなものはあったそうですが……。

インカ帝国首都クスコの起源神話について、今回はおはなしします。

インカ初代皇帝マンコ・カパックの誕生

マンコ・カパックの生地には諸説あります。(※「きじ」ではなく「せいち」です!)

というか、本当は実在も危ぶまれていますがそれは置いておきます。大きな候補は二つ。

「パカリクタンボ」と「ティティカカ湖の島」です。

どちらも馴染みないかもしれませんが、立地で言うと現在のクスコの南東方面。結構離れています。パカリクタンボ(の洞窟)の方が近いです。

ティティカカ湖はペルーとボリビアの国境の湖で、船が行き来する最も高い湖とか言われています。植物で作った人工の島に住む人たちもいます。南米の衛星写真でも見れば、大きいので一発で目に留まります。

どちらが生地(せいち)だとしても、生まれた理由は同じです。

……生まれた理由。普通の人間だったら、「そんなもの精子と卵(らん)が出会ったんですよ」ってなものですが、そこはさすが伝説の主役、マンコ・カパックには使命がありました。

「地上の人間がダメすぎる。もっとまともな暮らしをさせてやれ」(by 父なる太陽)

そんな訳で、マンコ・カパックとその妹のママ・オクリョは天から産み落とされました。同時に協力して地上を教化する旅に出るのです。

なお伝説のバリエーションは豊富です。実はこの時生まれたのは二人だけじゃなくて、男女3人ずつの兄妹だとか、むしろ4人ずつだとか色々あります。パカリクタンボ説だと、この兄弟姉妹説ですかね。生まれた理由もはっきりせず、唐突に出てきたなんて話もあります。

……あ、ママ・オクリョはWikipediaだと「姉」って書いてありますね。まあ何にせよ姉妹です。

いずれにしてもマンコ・カパックはのちの初代皇帝、ママ・オクリョは初代皇妃となります。

黄金の杖でインカの首都がクスコに決定

生まれた側から揚々たる旅路に挑んだマンコ・カパック一行ですが、何をするにも拠点が必要です。

父なる太陽は地上の人間に「人間らしいまともな暮らし」を教えるように言いました。具体的に言えば、優れた農業や服飾、建設などなどです。それに相応しい場所を見つけるのが先決でした。

太陽は兄妹に指示していました。

「黄金の杖が地中深くまで刺さった場所を拠点にしなさい」

……それが今のクスコでした。盆地に辿り着いた一行は、手に持った杖――単に棒とも言われますが、それを地面に突き刺します。結果抵抗もなく丸々上まで埋まって見えなくなったそうです。

そんなことあるでしょうか、黄金って結構柔らかかったはず。いくらクスコ盆地が肥沃だったとしても、さすがに無理がある気がします。

神話の謎パワーですね。

父なる太陽がわかりやすいように配慮してくれたかもしれません。実はただの杖じゃなかった可能性もあります。全自動ドリルみたいなのだったとか、変身能力があったとか。モグラに変身すれば簡単に埋まる気がします。

なおここでマンコ・カパックは、先住の人たちに言います。

「お前らを賢くするために来てやったから、言うこと聞いて土地を寄越せ」(意訳)

……暮らしやすい肥沃な土地を探した訳ですから、当然人はいたのです。というか、人のいない土地で教化も何もありません。いきなり言われて反抗しそうなものですが、カリスマの一種でしょうか、振る舞いや身に着けたものでわかったのかもしれません。

割とすんなり決まったそうです。

この時マンコ・カパックが北に向けて、ママ・オクリョが南に向けて――だかは知りませんが、そんな感じで二方向に分かれて、手分けして土地を回りました。二人で人々に「太陽の御子」の降臨を伝え、中央に集まるように促したのです。

征服しにきたと公言しておきながら、見知らぬ土地でいきなり単独行動です。そこの人たちはよっぽど非反抗的だったのでしょう。普通に考えて危ないです。

人から人へも伝えられ、やっぱりスムーズに人は集まりました。

マンコ・カパックが集めた人たちの住処を「ハナン・クスコ」、ママ・オクリョが集めた人たちの住処を「ウリン・クスコ」と言います。ハナンが「上」でウリンが「下」です。

単にわかりやすいように二つに分けただけで、差別的な意図はなく「右腕と左腕」程度の違いだとか。現在のクスコもハナンとウリンに分かれています。

現在ハナンが北でウリンが南なので、多分手分けする時もそうやって歩いたんでしょう。たぶん。

なお兄弟姉妹がたくさんいた説において、マンコ・カパックたちは某兄弟を騙して閉じ込めてしまったそうです。その後勝手に脱出して、羽を生やして一行の前に舞い降ります。

「もっと行けば盆地があるから行ってみろ。俺はすぐ側の丘に行くから祀ってくれ」

インカの数々の風習は、この時舞い降りた兄弟が指示して伝えたものだとか。兄弟は現在のワナカウリの丘というクスコの側に先着して石になります。

この時マンコ・カパック以外の他の兄弟も、翼を生やした兄弟と一緒に石像になってしまったそうです。

インカ帝国の首都クスコの発展

クスコは発展しました。

マンコ・カパックは力仕事や農具の作り方を教えました。ママ・オクリョは糸紡ぎや服の作り方、家事全般に関わる技能を教えました。

土地の人々の暮らしは、ひと昔前とはまるで違った洗練されたものになりました。そしてある程度落ち着いた頃に、新たな地域の人々にも呼びかけるのです。

「こっちに来い、良い暮らしをさせてやる」と。

あまりにも洗練されて高度な暮らしをする人々の存在は、太陽の御子たるインカの存在とその支配の正当性を伝えるのに、充分な根拠となりました。

こうしてクスコを中心として、インカの支配は広がっていきました。

最初のうちはクスコ周辺を中心に、ティティカカ湖方面に頑張って進出したとか。こちらは好戦的な人も多かったと言いますが、様々な手段で征服しています。

征服した人たちには高度で文明的な暮らしを。

そして食料や物資の援助もします。余ったところから足りないところへ、インカが「社会主義」国家と言われるゆえんですね。

とはいえいくら太陽の御子でも、最初から完璧で壮大なものは作れません。有名なクスコの太陽神殿も、最初は粗末な石小屋程度のものだったそうです。

太陽神殿を黄金の囲い場こと、「コリカンチャ」の名前に相応しい豪奢な神殿にしたのは、第9代のパチャクティ・インカ・ユパンキだと言われます。マチュピチュを建てたと言われるあの人です。

「コリ」は黄金、「カンチャ」は囲い場や中庭。創建当初の石小屋レベルでは、到底この異名は与えられなかったでしょう。パチャクティが作った太陽神殿には、金銀製のトウモロコシ畑や、金銀製のリャマの親子を育てる金銀製のリャマ飼いの像まで。

金と銀は色彩で使い分けられたようです。トウモロコシの根や茎を銀で、色の冴えた実の部分は黄金で……なんて風に。

畑の合間の金銀製の木々には、黄金の花の蜜を吸う黄金のハチドリ。壁やちょっとしたスペースにも、生きているかのように金銀のトカゲが這っていたと言います。ついでに石壁を積み上げる時の接合部にも、金や銀を使っていたなんて話も。

本気出しすぎです。

今では頑丈な土台だけ残って、上はキリスト教カトリックのサントドミンゴ修道院になっています。スペインの征服者たちの黄金欲は凄まじいものがありました。

まあ、本国に居場所がなくて、一攫千金夢見て命を賭けて来た人たちが殆どです。居場所がある人は危険な航海になんて出ません。しかも当時のスペインは財政難……という訳で、本国から距離も遠く監査の行き届きにくいインカの地では、やりたい放題された事情もあるようです。

土台だけでも残ったのは、不幸中の幸いだったのかもしれません。インカの強靭な石積み建築は、スペイン製の建物が悉く崩れるような地震でも無傷でした。

サパ・インカ(インカ皇帝に対する敬称)の伝えた技術の粋には、現代の我々ですら驚嘆するものがいくつもあります。

まあ、伝説は伝説ではありますが――。

脈々と伝えられた技術の凄さに疑いはないです。

まとめ

クスコの太陽神殿の土台に鎮座する、現サントドミンゴ修道院の中庭   

インカ帝国初代皇帝は、黄金の杖の埋まった場所を首都に定め「クスコ(へそ)」と名づけました。

まあ初代と言えど伝説上です。実際には第8代か第9代くらいより前は、実在が疑わしいと言われています。ミイラはあるけど本物かはわかりません。

とは言え語られる人物や出来事はともかく、インカ帝国――帝国と言える力を持つ前の前身も合わせて、この一族が支配した国、の起こりは1250年頃というのが通説です。日本だと鎌倉時代ですね。最近は考古学の発展に応じて、1100年頃という説もあるとか。

南米史の研究はまだまだこれからです。

ここで書いたのも一説の紹介です。神話でも伝説でも色々とあります。興味のある方は探してみても良いかもしれません。色んな人が聞き集めて、征服時代の歴史書に書いています。もちろん現代の研究者を始め、それを纏めて紹介している方々もいます。

黄金の杖を持った旅、安易にやると強盗に遭いそうで怖いですが、アンデス山地に行ったらちょっとやってみたいです。勇気ある方はどうでしょう、マンコ・カパックの気持ちがちょっとわかるかも。

なお安全は保証しません。自己責任で!

  

[主な参考文献]

インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベガ『インカ皇統記』シリーズ(岩波文庫、2016年(1609年))
ペドロ・デ・シエサ・デ・レオン『インカ帝国史』(岩波文庫、2006年(1550年代前半))
網野徹哉『インカとスペイン 帝国の交錯』(講談社学術文庫、2018年)

などなど!

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