ナスカの地上絵を知っていますか?
世界遺産『ナスカとパルパの地上絵』に含まれる、見るからに不思議な砂漠のアートです。
ペルーという国の南部にありますね。
「ハチドリ」に「猿」、幾何学的な多くの図形……。
壮大なアートの本当の迫力は、現地で見なければわからないと言います。
ミステリアスなあまり、一時は宇宙人との関連も囁かれました。
積み重ねられた研究でわかったことと、未だにわからないこと……。
色んな調査の末に、かなりの謎が解明されつつあります。
2000年前から現在まで、未だ消えないで残るナスカの地上絵の謎は、私たちに多くのことを教えてくれます。
ナスカの地上絵はどんな場所にある?
ナスカの地上絵があるペルーは、日本の約3.4倍の面積を持ちます。
同じく世界遺産の『マチュ・ピチュ』でも有名な、観光業で栄える国ですね。
場所は南アメリカ大陸、赤道より少しだけ南の太平洋沿いです。
ジャガイモやトマトの故郷であり、地理の授業では魚のアンチョビ輸出量で日の目を見ます。
かつてスペインに支配された経験があるため、都市部は主にスペイン語。
他に、インカ帝国時代の公用語だったケチュア語や、南の方に多い人たちのアイマラ語も合わせて、三つの言語が公用語になっています。
また、「コンドルは飛んでいく」などのフォルクローレ(民族音楽)でお馴染みの方も、いるかもしれません。
国土を南北にアンデス山脈が貫いており、中央アンデス地域と言われますね。
このアンデス山脈は、なんと6000m級の高い山々が連なっているのですよ!
太平洋沿いの高度0m地域から、6000m級のアンデス山脈、更に東にはアマゾンの密林……。
南北に長いということは、緯度の差からなる気候の違いも大きい。
この複雑な地形と、高度差が織りなす気候の多様性も、ペルーの大きな特徴の一つです。
海岸沿いの北には、「赤道」を意味する国名を持つエクアドル。
北東にはパナマ地峡への入口となるコロンビアがあります。
東には熱帯雨林を介して、南米最大の国であるブラジル。
南東には空を映すウユニ塩湖で有名なボリビアがあり、南はワインの産地のチリと接触していますね。
ここは、かつてインカ帝国の中心だったことでも知られている地域です。
さて、そんなペルーのなかで、ナスカの地上絵はどこに描かれたでしょうか?
想像してみてください。
雪をかぶる急峻な山頂でしょうか? それとも酷暑の熱帯雨林の中?
そんなイメージはありませんね。
では、海岸沿いの港町近くに描かれたのでしょうか?
地面は平らで描きやすいかもしれませんが……。
この記事全体のサムネイル写真でも、地上絵の風景が少しわかりますね。
どうにも広大で、植物すらあまり見当たらない……そう、乾燥地域なんです。
ナスカの地上絵が位置するのは、赤茶けた大地の広がる砂漠地帯です。
ペルーがあるのは太平洋岸。
しかし南の方を見ると、実は雨は全くと言って良いほど降らないんです。
何故でしょうか。
海があるなら、水蒸気には事欠かないように思えます。
山脈だってあるんだから、西で水を吸った湿った空気が、東に吹けば雨になるはずです。
でも、南の方だけは問題があるんです。
これは、更に南のチリでも同じこと――というか、もっと特徴的です。
アタカマ砂漠、って、ご存じでしょうか。
世界で一番星空が綺麗に見えると言われるチリの砂漠です。
アタカマ砂漠は、海岸沿いの砂漠として知られています。
実は南アメリカ大陸の西は、南極の方から冷たい海流が近くを流れているのです。
海の水が冷たいということは、水が蒸発しない……。
だから、近くに水の塊があっても、空気は乾燥してしまうのです。
そして、ペルーのナスカもこの延長にあります。
この冷たい海流、フンボルト海流があるために、南米の南西部には大きな砂漠が伸びているのです。
この寒流、年によってちょっと北の方まで勢力を伸ばしたり、逆に弱まったりします。
ペルーの気候は、この変化に大きな影響を受けていますね。
ラ・ニーニャ現象とか、聞いたことあるかもしれません。
これは、フンボルト海流がいつもより北まで流れてきたことによって、一帯が寒冷化して大変な目に遭う現象ですね。
そして、毎年その影響を受け続けているのが、ナスカの地上絵が描かれた地域。
ナスカは年中強い日差しに晒された、雨のない不毛の大地で築かれた文化でした。
南半球に位置するペルーの中でも、比較的南部のチリ付近、アタカマ砂漠の影響を受ける地域です。
――これが、2000年の長きに渡って残る謎の原因の一つです。
ナスカの地上絵が消えない理由
地面の絵が消える理由は、なんだと思いますか?
消える原因には、色々あると思います。
例えば、雨。
校庭に木の枝や石で絵を描いても、大雨の後には跡形もなくなってしまいます。
例えば、波。
海岸や湖岸で波にさらわれて文字が消えるのは、砂浜で遊んだことがある人にはイメージしやすいでしょう。
例えば、植物。
森の腐葉土は柔らかいですが、植物が生えれば足跡も消えてしまいます。
例えば、動物。
地面に何か書いたあと、自分の手や足でかき消した経験はありませんか?
他にも、河川の氾濫が原因になったり、土砂崩れで埋もれてしまったり。
砂丘のように風で砂が舞った結果、毎日のように地形が変わる地域もあります。
簡単に纏めると、「生き物」や「自然現象」が原因になりそうです。
では、皆さま、ご存じでしょうか。
月面の足跡は、何年残ると思いますか?
実は何百年、何千年、何万年とも言われるスケールで、消えないと言われています。
月には生き物が住んでおらず、雨も降らず川も流れず、地震もほぼ起こらないからです。
もちろん、足跡の上に隕石が衝突したり、人類のロケットが着陸したりすれば、その限りではありませんが、それはとても例外的なことですね。
これは極端な例ですが、地球上であっても、この環境と近ければ近いほど、地上絵は長く残ると言えます。
ナスカの地上絵があるのは、ゴロゴロとした砂利製の砂漠です。
風化する原因がほとんどないので絵が消えません。
決して、絵が頑丈だから残っているわけではありません。
ナスカの地上絵はごく簡単に作られています。
バリエーションはありますが、基本的には砂漠に足で線を引いただけなんです。
地上で酸化した赤い石ころを退ければ、白い地表が浮き出てきます。
近くで見ると車の轍と大差ありません。
曖昧で図柄にも見えないくらいです。しかし遠ざかるほど良く見えます。
いわゆるフォトモザイク、写真のモザイクアートのようなものですね。
距離を取るほどはっきり見えます。
遠くから見れば図柄になる、シンプルな技法です。
それでも、消えないんです。
もちろん、近くに川はありました。
ナスカの人たちは、川から水を引いて農業をしながら、魚を捕って暮らしていたそうです。
しかし、地上絵の場所も選びました。
川が氾濫した程度では、消えない場所を選んでいるのです。
(……まあ、ダメだった場所の地上絵は、どのみち消えちゃっているでしょうが)
文化自体にも、大掛かりな人手を集められる組織力は無かったようです。
同時期の北海岸では、南のナスカとは違って大規模なピラミッド型の建造物が作られていました。
しかし、それでも充分でした。
……とはいえ、現代の気候変動で事情も変わりつつあるようです。
普段降らない場所に雨が降り始めた結果、地上絵によっては――。
それに、今までにも色々ありました。
政府が農地にしようとしたこともありますし、無知な観光客が踏み荒らしてしまう事件もありますし……。
特に後者、先ほども言った通り、近くで見るとわだちみたいなんですよ。
悪戯でなくたって、それが地上絵だと気づかずに踏み荒らす人もいたんです。
生き物がいない?
人間がいるんですよ。
地上絵が消えない謎のもう一つの理由は、保護しているからです。
2000年残った貴重な世界遺産、『ナスカとパルパの地上絵』。
この先2000年くらいは、消えないと良いですね。
ナスカの地上絵の種類
さて、ナスカの地上絵には大きく二種類あります。
一番有名なのはハチドリの絵ですが、このような生き物の模様は少数派です。
30程度しかありません。
一方、ぐるぐるやナミナミといった幾何学模様は、まさに桁が違います。
1000を超える線や図形があるようですよ。
とはいえ、全ての模様が完璧に解明されている訳ではありません。
中には「海鳥とコンドル」、「猫と犬と狐」、または「海藻と木」のように、同じ模様でも違う解釈がされているものもあります。
「海藻」と「木」の二つの説を持つ地上絵は、少し上にも写真を載せてみました。
ミラドールと呼ばれる展望台からも見える、有名な地上絵の一つです。
色んな解釈があるので、解説を見て混乱した経験のある人もいるかもしれません。
その意味で、ナスカの地上絵にはまだまだ謎があります。
この辺の謎や研究史については、地球の歩き方別冊がとても詳しく面白いですよ!
さて、とはいえわかっている模様もあります。
地上絵には文字なんて書いてありませんし、想像するしかないように思えますよね。
どこからわかるのでしょうか?
一番の研究素材は、土器と織物です。
そう、地上絵そのものじゃないんですよ!
意外に思うでしょうか? しかし、視野を広げて見えるものもあるのです。
ナスカの人たちは織物技術に秀でていました。
そこには色んな図柄があって、地上絵と同じモチーフも取り上げられています。
土器も同じです。
それらを中心資料として、地上絵は徐々に読み解かれているのです。
織物や土器の模様なら、地上絵と違って色だってありますね。
ナスカはとてもカラフルな文化ですから。
もちろん、一緒に描かれた題材との組み合わせで、読み解けることだってあります。
例えば土器に描かれた「猿」は、農機具や農作物を手に持っています。
他にも、肥料にもなる「海藻」は、魚の保存や輸送にも役立ちますね。
「狐」はナスカの神話では、天から栽培植物をもたらしたと言われるようですよ。
1926年に最初に見つかった放射線状の図形も、狐がもたらした植物の種が飛び散る様子と言われます。
ナスカ文明は不毛の砂漠にあり、水がとても重要でした。
川から水を引く技術に優れ、それを使った農業で発展しました。
恵みの雨や豊穣という要素は、格別の意味を持っていたと考えられます。
中でも「ハチドリ」はナスカで最も多く描かれる動物ですが、これは水をもたらす神鳥と見做されていたそうですよ。
ハチドリが飛ぶと山地に雨が降る。
山で雨が降れば川が増水する。
そして増水すれば、作物の実りが豊かになります。
季節を告げる「海鳥」も同じです。
ナスカの地上絵は、豊穣儀礼の祈りを込めた、儀礼場だったという説が有力です。
ナスカの地上絵の様々な説
現代では「豊穣儀礼説」でファイナルアンサーの勢いですが、今までには色んな説がありました。
例えば「天文暦説」です。
最初の頃はこれが通説だったので、聞いたことある方も多いかもしれません。
この説で「猿」はおおぐま座、北斗七星を表しています。
もちろん現代の星座とは少し違って、頭の部分が猟犬座です。
夜明けの空にこれが昇る時、山に雨季が訪れる――。
「蜘蛛」はオリオン座。
暮れの空に昇る時、山に雨が降るそうです。
ナスカの文化で、蜘蛛には「人間を生み出した」神話もあるとか。
直線は春分や秋分など、特別な日没や日の出の方角に向けて伸びていました。
空を映した地上絵だなんて、何だかわくわくしますね。
星霜の宇宙の歴史だけでなく、雄大な自然の動きを感じられそうです。
ただ、今ではこの「天文暦説」は主要ではなくなってしまいました。
解釈が恣意的で根拠が薄い、というような理由だそうです。
わくわくするからって、正しいと思うなよ!
土器の研究などから、「豊穣儀礼説」の根拠が定まってきた事情もありそうです。
地上絵だけじゃなくて、ナスカの文化全体を見てみよう、というわけですね。
とはいえ確実なことはわかりません。
数百年に渡って沢山描かれた地上絵です。
全てが同じ目的と断言できるかもわかりません。
例えば、個人的に遊びで描いてみた線が、一本くらい混じっているかもしれません。
練習用の図形は普段は消すはずでも、たまたま作業が中断して忘れ去られたのもあるかも……。
とはいえ、儀礼場を真似して遊びの図形なんか書いたら、誰かにこってり絞られそうですけどね。
大勢どころか二人組で書いたなんて説もあります。
ナスカの地上絵は、描くだけなら難しくない上に、実際には幾何学図形が多いのです。
他にも説があります。
例えば、蜃気楼に向けて用水路を描いた、というのです。
ナスカの地上絵の直線が、実在する用水路と規格が同じというのです。
とはいえ、規格が同じなのは「そのほうが慣れていて描きやすかった」だけかもしれません。
結局は予想以上にはわからないのです。
それが、考古学というもの。
限りなく正解に近づける努力をしながらも、最後の正解は誰にもわからない。
だからこそ、今の常識が未来にはペテンかもしれず、探求に終わりは無いのです。
時代背景を想起させられる説もあります。
例えば、恐らく最も有名であろう「宇宙人説」は、1960年代の宇宙競争の時代に唱えられたものだとか。
何でも宇宙に結び付けたかった時代ですね。
しかし実際には、地上絵は宇宙からはほとんど識別できないそうです。
まあ、わだちのように細い線ですから。
砂漠に残る細い線の謎は、わからなくても面白い
ナスカの地上絵は、様々な危機に晒されながらも残され、大きく研究は進んできました。
実は日本の貢献も大きいです。
山形大学の研究チームによって、続々と新たな地上絵が発見されているんですよ!
新ミラドール(展望台)の建設も行われています。
2024年10月現在、コロナ禍も少し落ち着いてきました。
中には外国旅行を再開した方も、いるのではないでしょうか。
ま、筆者のいくちゃんは、ペルーに行き損ねましたけどね!(´;ω; ` )
通常、世界遺産『ナスカとパルパの地上絵』は、小型飛行機(セスナ)で空から見られます。
全部は見られませんが、一部の上空を遊覧飛行してくれるのです。
「ナスカの地上絵」が有名ですが、「パルパの地上絵」も合わせた長めのフライトもあるようですよ。
パルパは、ナスカより少し海側にあります。
あの時代の文化は、新しくなるほど徐々に内陸に移動してきていたんですね。
つまり、パルパの地上絵はナスカの地上絵より古いんです。
より原始的なパルパの地上絵は、ナスカとは全く描き方も違います。
パルパの「ハチドリ」は、ナスカより丸っこいんですよ。
また、実は当時のナスカの人々は、気球から地上絵を見たなんて説もあります。
観光用のセスナからの眺めは、2000年前の古代の人たちと同じ目線かもしれません。
ぜひ行ってみてください。
きっと写真ではわからない衝撃があります。
それは、いくら本を読み漁り、ブログの知識を探し求めたところで、得られない体験に違いありません。
狭いセスナの機内に乗り込み、南米なまりの英語でガイダンスをされながら、ゆっくりと上空へ高度を上げていく。
遠く西には太平洋が見えてきて、反対側には高く険しいアンデス山脈が――。
眼下は目立つものの無い、だだっ広い砂漠。
そこに突如、巨大な地上絵が現れ、瞬く間に視界を埋め尽くすのです。
ま、想像ですけどね。
実際に太平洋やアンデス山脈が見えるのかは、乗ってみてからぜひ、コメントで教えてください。
いくちゃんはまだ、ペルーに行ったことがありません(´;ω; ` )
現地で推しの地上絵を探すのも、楽しいかもしれませんね!
主な参考文献など
ナスカの地上絵の研究史は、とても独特です。
ペルー人の考古学者ではなく、ドイツ人の数学者によって研究が始められたからです。
その女性研究者に、三重県の女性ジャーナリストが、情熱のままに突撃インタビューに行きました!
こちらの本の他に、文中で紹介した完全ガイドもおすすめです。
単なるガイドブックでしょうと、現地での交通アクセスや入場関係の話ばかりかと思っていたのですが……(笑)
読み始めてびっくり、その話の密度の濃いこと!
それもそのはず、実はこの本、旅行のプロではなく研究者が編集しているのです。
山形大学の活躍や、発見から研究の歴史、個々の地上絵の詳しい解説も見られます。
どちらも胸を張っておすすめできる一冊です(。 ・`ω・´) キラン☆
地球の歩き方編集室『世界遺産 ナスカの地上絵 完全ガイド』(2010年)
楠田枝里子『ナスカ砂の王国 地上絵の謎を追ったマリア・ライヘの生涯』(1990年)
コメント