エジプトには壮大な神殿や王墓がたくさん残されています。
ラメセス2世のアブ・シンベル神殿は、世界遺産条約のきっかけにもなりました。
その王妃のネフェルトイリ(ネフェルタリ)は、あまりにも美しい墓の壁画で知られます。
でも、こんなに豪壮で芸術的な遺産の数々も、出来て数千年です。
わからないことだらけでした。
18~19世紀のヨーロッパには、野心的な理解欲でその謎に挑んだ天才たちがいました。
何よりこの文字が気になる!
装飾的で美しく、どこの文字とも似ていない絵のような精緻で端正な文字――。
あちこちに刻まれ、描かれた文字は一体何を意味するのか。
これを読めれば、魅惑的な謎がいくつも解明されるのでは?
そして、明かされたのです。
今回はそんなエジプトの文字、ヒエログリフの解読者二人のおはなしです。
ヒエログリフを解読した二人
ヒエログリフの解読者と言えば、ジャン=フランソワ・シャンポリオン氏が有名です。
1790年、フランス生まれの言語学者でした。
ギリシャ語にヘブライ語にアラビア語、数々の言語に通じた「早熟」の言語的エキスパートです。
しかし解読に大きな貢献をしたと言われるのはもう一人います。
それが、イギリスの物理学者のトマス・ヤング氏です。
1773年、シャンポリオン氏より17年早く生まれています。
活躍の場は物理に音楽、薬学そして言語、すさまじきジェネラリストタイプです。
最終的に解読したのはシャンポリオン氏と言われます。
ゆえに、シャンポリオン氏の功績ばかりが語られがちですね。
しかし、最初にヒエログリフの研究者として名を馳せたのはヤング氏です。
二人の活躍は主に、ヤング氏からシャンポリオン氏へ一筋の道を描くようでした。
ヤング氏は誰もが認める最先端の人でした。
ヒエログリフの基本的な性格を、いくつも特定して発表したのです。
やがて、ヤング氏の研究を土台にして、シャンポリオン氏が追随します。
一気に追い上げたシャンポリオン氏は、1822年。
32歳の若手にして、とうとう解読を成し得るのです。
爆発的な偉業でした。
トマス・ヤングとヒエログリフ
トマス・ヤング氏は物理学者ですが、幼少期から数学と語学に才を発揮していました。
語学の面では、ラテン語にギリシャ語、イタリア語にフランス語、アラビア語にヘブライ語まで。
14歳の時点で11ヶ国語を話せたそうです。
うん……ちょっとよくわかんない……。
エジプト学の分野では、ヒエログリフの解読に貢献しました。
具体的には、「カルトゥーシュの役割」や、「ヒエログリフは表音文字が中心という事実」に気付いたそうです。
カルトゥーシューーつまり、楕円で囲まれている場所には、王名が書き込まれています。
ヤング氏はこの推測に従い、「プトレマイオス」の王名も同定に成功!
なお、フランス語の「cartouche」は「薬莢」、つまりカートリッジの意味ですが、本来のカルトゥーシュは「結ばれた縄」です。
この「結ばれた縄」は、「永遠」や「保護」を意味する「シェン」として、ヒエログリフの一字にもなっています。
同じものである証拠に、カルトゥーシュの端っこには、結んだ縄の両端も描かれています。
縄の端を結ぶことで終わりがなくなるので「永遠」。
囲むことで「保護」、と言ったところでしょうか。
このシェンで囲うことで、王の「永遠性」を象徴したり、「保護」をしたり……。
また、ヒエログリフはああ見えて表音文字が大半です。
そのせいで解読は難航していました。
ヨーロッパの研究者が基本だったので、どちらも混じる言語(日本語とか!)には馴染みがありませんでした。
てっきり表意文字だと思って試行錯誤していたので、全く解読の兆しがなかったのです。
しかし、ヤング氏は中国語もできました。
中国語は象形文字が元ですが、実際には表音文字として使われる状況もあるので、入り混じっていると言えます。
まさにヒエログリフのように。
だから気づいたのです。
しかし、そこまで。
当時のヤング氏には、ある知識が足りませんでした。
ジャン=フランソワ・シャンポリオン
シャンポリオン氏は当初、絵や観察に才能を発揮しました。
6歳には顕著だったと言います。
絵描きとしても能力を延ばし、ヒエログリフの調査や観察に活かされました。
言語の才も著しく、10歳になる前にラテン語やギリシャ語の基礎を教わっていました。
11歳にはヘブライ語を学び始めたと言います。
15歳には古代エジプト研究を志し、ヘブライ語の研究に関する論考も上げています。
次々に多くの言語を学び、その関連性から語源を突き止めるのに憑りつかれたようです。
17歳には様々な民族言語の語源解明に熱狂していました。
……シャンポリオン氏が「早熟」と言われるゆえんがわかりますね。
内容と年齢の組み合わせがおかしいんですよ((
この頃シャンポリオン氏が修めた言語に「コプト語」があります。
古代エジプト語の亜種みたいなものです。
エジプトのキリスト教会である「コプト教会」で使われるので、「コプト語」と呼ばれていました。
ギリシャ文字で表記するエジプト語です。
当時のエジプトでは既に、日常言語はアラビア語でした。
唯一残る古代エジプトの言語は、コプト教会にあったのです。
話し言葉では使われず、祈りや儀式で使われた特殊な言葉を……シャンポリオン氏は完全にマスターしました。
頭に浮かぶ言葉を全てコプト語に翻訳して、コプト語で独り言をして学んだそうです。
儀式言葉で独り言とか、普通は中々できないですよね。
しかし、習熟するには最適でした。
そして熱意を高めていったのです。
壮麗な古代エジプトを、言語の側面から解明したい。
フランス革命に翻弄されながらも、シャンポリオン氏は破竹の勢いで頭角を現します。
1799年、解読の鍵となるロゼッタ・ストーンが見つかっていました。
シャンポリオン氏が写しを手に入れたのは、17歳か18歳頃だそう。
遅れたスタートにもかかわらず、どんどん学び考え、常に言語を使って身に着けて、そして日ごとに研究しました。
やがてトマス・ヤング氏を超える時が来ました。
ヤング氏に足りなかったのはコプト語の知識です。
コプト語研究者として辞書まで作ったシャンポリオン氏は、独り言で培ったそのコプト語力で……!
ロゼッタ・ストーンのギリシャ語を、まずコプト語に翻訳しました。
ロゼッタ・ストーンには、三つの言語が対訳で記されています。
ギリシャ語と古代エジプト語の二種類——後者の片方がヒエログリフです。
そしてコプト語は、文字が違うだけの古代エジプト語です。
若干の違いはあるとしても、文法や語順、語彙はよく似ているはずです。
まずはヤング氏の功績にあやかって、ヒエログリフ部分のカルトゥーシュから、一部の文字を特定します。
このヒエログリフがこのギリシャ文字、という感じです。
わかる文字が増えるほど、残りの文字の解読もたやすくなっていきます。
こうして、ひたすらパズルを解いたのです。
解読が発表される1822年まで、怒涛の研究ラッシュでした。
あまりにも怒涛だったので、当初は「ヤング氏の研究を盗んだ」となじられましたが……やがて彼の功績も認められていきます。
1828年——38歳の折、シャンポリオン氏は、切望したエジプトの大地を踏みしめました。
喜びも一入(ひとしお)、現地の踏査に熱中します。
全ての遺跡の全ての壁画と文字を、全て詳細なスケッチにする。
絵の才能と技量を振るう時です。
そして当然書かれた文章を読み解き、神秘のエジプトを明らかにする。
水を得た魚のように活躍したことでしょう。
砂漠の粉塵荒れ狂う異郷の地で、昼夜も問わず働いたかもしれません。
15か月の旅でした。
夢中になって成果を上げ続けました。
1830年、シャンポリオン氏は帰国します。
まだまだやることは尽きません。
エジプト語の文法書に取り組んだそうです。
教授として教壇にも立ったそうです。
そして1832年3月――精力を全て使い果たしたかのように、病気でこの世を去るのです。
享年42歳の若さでした。
ゆえにシャンポリオン氏はいつも、「早熟の天才」と言われます。
まとめ
ヤング氏もシャンポリオン氏も、どちらも天才です。
ただシャンポリオン氏の方が言語に特化していたようです。
特化と言っても学んだ言語の種類数が半端ないんですが……そしてヤング氏も大概なんですが。
ヒエログリフの解読に関しては、最終的にはシャンポリオン氏に軍配が上がったようです。
多分本当に、天職だったのでしょう。
そしてあまりに才能があったために歯止めも利かず、寿命を使い尽くしたのかもしれません。
現在パリのルーヴル美術館には、多くのエジプトの遺物が展示されています。
これもシャンポリオン氏の熱意が集めたと言っても過言ではないのです。
文化財の持ち出しは色々問題もありますけどね。
いくちゃんも、言語は好きなので……シャンポリオン氏の取り組みにあやかりつつ、色んな言語を学んでいく予定です。
そのうち別言語の話もするので、楽しみにしていてね!(笑)
主な参考文献
ミシェル・ドヴァシュテール『ヒエログリフの謎を解く 天才シャンポリオン、苦闘の生涯』2001年
近藤二郎『ヒエログリフを愉しむ 古代エジプト聖刻文字の世界』2004年
などなど!
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