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北黄金貝塚公園はの見どころを、現地への旅で体感してみた!【北海道・北東北の縄文遺跡群】-2023年GW旅2

旅の記録
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さて、世界遺産『北海道・北東北の縄文遺跡群』をめぐる北海道旅。

2か所目は、「北黄金貝塚」です。
青森で行ったことのあった「二ツ森貝塚」を入れれば、全部で3件目ですね!

……前回の更新から一か月経ってしまいました(汗)

さて、「キウス周堤墓群」を出て登別へ向かい、非日常的な温泉地を2泊も満喫したいくちゃんは――ええ、ちょっと暴走気味の一人ツアーの名残もあり、旅も5日目に当たる5月3日の朝、早くも疲れていましたw

よって、朝から早速出発するよりは、ゆっくり温泉街の散策からスタートです。

前日までアクティブ過ぎたので、最後にゆっくり見ておこうかなあとも……(笑)

朝の10時頃に温泉街を出ました。
ゆったりスタートです。

登別から北黄金貝塚へ

登別温泉地獄谷の朝。朝昼晩と歩きましたが、朝日が反射する湯けむりが最高でした……人も少ないし。8時頃までは天然足湯も独り占め! この日は行かなかったので、写真は前日の5月2日。

今回は荷物に惑うこともなく、のんびりと登別温泉バスターミナルからバスに乗ります。

東室蘭駅前まで約20分……ええ、延々と都市でした。
登別温泉って、市街からは分離して若干の秘境味あるんですが、そこから下って登別市自体はまあ……〝市〟なんですよ、やっぱり。
それがよくわかった。
これは電車だけじゃわからなかったなー(笑)

車窓から外を見るのも見聞広がって良いんですが、ずっと街中を見ていても疲れるので休憩しつつ。
東室蘭駅に着き、そこからは少し待って電車に乗り換え。

伊達市に到着! 黄金駅まで乗って、登別から計:約1時間です。

無人の駅舎の壁一面を埋める掲示物! 北黄金貝塚だけのためのポスターが、二枚も縦並び……! 更に情報センターのアクセスや営業情報も。これは気合が入っていますね!

黄金駅は無人でしたが、しっかり宣伝していました!
こじんまりした駅舎の壁が、一方向これだけで埋まっている感じです、ええ。

北海道だからかな。
こじんまりした無人駅でも、ドア付きの駅舎は必ずあったと思います。
多分雪と寒波除けじゃないかな。

さてここからは……。

「北黄金貝塚公園前」ってバス停もあるので、駅からバスに乗ればすぐ。
何なら電車を使わず、直接バスを乗り換えても行けたくらいです。
ところで、黄金駅から歩くと30分だそうです。

前日にもだいぶハードな徒歩行をこなしたいくちゃんです。
たった30分歩くのをケチってバスを待つだろうか?

もちろんノーです、歩きます!(※直前まで乗るつもりでいたら思ったより近かった)

外はとっても良い天気!
これは歩くチャンスです。
ちょっと前日の足裏の痛みとか筋肉痛も残っていますが、まあ30分は誤差ですよね、ええ。

……大体バスはもう、登別から室蘭までで充分乗ったのだ。
延々乗っていることもあるまい。

左手に海を見て、『史跡北黄金貝塚公園』へ

見晴らしの良い広い道、柱半ばの「北黄金」の看板の向こうに、青く果てしない海が覗く。嘘です、頑張れば湾向かいの陸が見えるかも(=果てはある)。道南の渡島半島かな? も少し北の八雲町や長万部町かも。進行方向先にコンビニもあります。

北黄金貝塚は、北海道伊達市の遺跡です。

伊達市はいくちゃんのルートで言うと、「キウス周堤墓群」のある千歳市からは、海沿いを西に行って室蘭方面に半島を南下、登別を超えて、先端の室蘭から北に取って返した先。
伊達市から見れば登別は東、南東方面に室蘭市、北西には洞爺湖町があります。
(本当は内陸にも伊達市の飛び地があるんですが、こちらは旧大滝村でして、今回は省きます)

陸地を見ると、室蘭市から北西方面をぐるっと回り、なんと280°分くらい大きく海を囲っています。
終着は渡島半島の函館市――いや、湾としては手前の鹿部町あたりまでかな、これが内浦湾(噴火湾)です。

噴火のカルデラが湾になったわけではなく、湾沿いをぐるっと火山が囲んでいるからだそうです。
あちこち噴煙の登る風景を見て、かつてイギリス人が名付けたとか……。

伊達市は噴火湾の文化圏。
湾を囲む火山の中でも、洞爺湖で有名な有珠山の近くです。
ここの海の見える丘に北黄金貝塚があります。

延々海を見て走る大通りは、伊達市の立地を象徴するようですね。
キャリーケースをごろごろ引きずって、見晴らしの良い晴天の道を楽しんで歩きます。

先ほどの写真の位置から前方を向いてみた。右の方に北海道の旗が翻っています。
右を向けば山があります。海と山に挟まれて、広々とした湾沿いの道ですね。

遺跡に行くなら地形を見るのは大事!

――まあ、この時のいくちゃんは地形のことは知りもしなかったのですが、知っていようが知らなかろうが、一目瞭然に伝わってきます。
後になって理屈に気づき、体験のおかげで実感するというやつですね。

旅の興奮からか、特に食欲はなかったのですが……。
食べないわけにもいかないよなあと、途中のセブンイレブンに厄介になります。
いや、おトイレお借りしたかっただけですけどね!(笑)

『史跡北黄金貝塚公園』に到着

右から、『北海道・北東北の縄文遺跡群』のPR旗、史跡公園としての解説版、『縄文遺跡群』の立て看板に――左はなんと、ユネスコ世界ジオパークとしての解説版! 北黄金貝塚はユネスコ世界遺産なだけでなく、ユネスコ世界ジオパーク『洞爺湖有珠山ジオパーク』の一部でもあったのです。つよい。二重にユネスコに名を刻んでいるのね、この子……!

北黄金貝塚は、「史跡北黄金貝塚公園」として整備されています。
駐車場は……広い割にとても空いていたけど……私が来た後で人が増えた気がするので、時刻の問題もあるかもしれない。

写真の看板群の向こう、丘の上が少し白くなっています。
あれが復元貝塚です。

青森県七戸町の「二ツ森貝塚」では、貝塚の復元はありませんでした。
よっていくちゃんは初めて目にしました。

これは〝復元〟と言うよりも、〝立体表示〟と言う方が良いのでしょうか。
復元で間違いってわけじゃないですけどね。
元の位置や形、大きさがわかるように真上に貝殻を並べています。

発掘した貝塚の中身を全く同じ比率で表現したものではないし、貝殻自体も死後数十年で、見せるために置いたもの。
もちろん〝本物〟とは言えないですが、一目見てどこにどんな貝塚があったかわかるので、理解に非常に役立ちます。

博物館のパネルの図説と同じですね。
だから〝立体表示〟として、世界遺産の真正性を損なわずに披露できるのです。
貝塚に限らず、『北海道・北東北の縄文遺跡群』では、この〝立体表示〟が色々とあります。

でも、遺構はこの下なのよ。
普通は見られないね。

……普通はねっ!

――さて、それはともかく、貝塚をちゃんと見るのは後にして、まずはこちらです。

「北黄金貝塚情報センター」!

写真の左側に90度振りむけば、広い丘の上に竪穴住居や貝塚の復元が見えます。駐車場からは回り込む立地ですが、遺跡への動線は良好です。

情報センターだけを見に来るには、駐車場の真逆に入口があって少し不便。
でもここはあくまで史跡公園。
センターで完結してしまうのは、本意じゃないのです……。

いくちゃんが勝手に言っているだけなので、設計思想は知りません(笑)
でも左を見ればほら!

正面にいるのが公式キャラのオコンシベくんとオンネちゃん。その奥には縄文中期の竪穴住居が3棟復元されています。青空の下に映えるのは、展示される中で最も広範囲にわたるA’地点貝塚。北黄金貝塚で最も新しい時代のものです。

めっちゃ良い感じに整備されている……。

ではまずはこれらを理解するために、情報センターの中に入りましょう。

情報センターで親しむ北黄金貝塚

伊達市内で発掘された縄文土器です。一番上に、「北黄金貝塚の土器」とありますね。縄文時代でも初めの頃に多い、土に埋めて固定して煮炊きに使う尖底土器のタイプです。

情報センターは入館無料です。

時代や貝塚そのものの情報だけでなく、遺跡と市民の歩みが紹介されています。

貝塚のある上坂台地の地主の上坂氏と、高校勤務の合間に遺跡を見つけた峯山氏の邂逅――。

「いつまでも掘るところは残しておくから、いい仕事しなさいよ」と、熱意を受け入れ励ます上坂氏。
峯山氏の歴史の授業に感化された生徒たちによる、伊達高校郷土研究部の誕生と調査の経過。

伊達高校郷土研究部と峯山氏は、北黄金貝塚だけでなく、洞爺湖町の「入江貝塚」、「高砂貝塚」も発掘調査しています。同じく『北海道・北東北の縄文遺跡群』の構成資産です。

簡単な展示ではありますが、胸が熱くなる歴史です。

時代は下って、史跡に登録されて以降の一般市民との関わり。

当時中学校の美術部部長だった現イラストレーターの佐藤氏が、コンペで勝ち取ったオコンシベくんの誕生に……四季折々で催される公園のイベント。

写真群左の列は〝縄文の森〟植樹の様子。造園のプロによる一息の復元でなく、市民が植樹して徐々に育つ〝縄文の森〟は、生きた遺跡を象徴するようです。右から二列目に小中学生の縄文キャンプの様子も! 夏休みに復元住居に泊まり込んで、縄文の生活を学ぶ恒例のイベントです。

そして世界遺産の登録。
良い感じの遺跡年表もありますよ。

もちろん遺物の展示もあり、一部は触ってみることもできます。

地主の上坂氏が拾ってコレクションしていたという、北黄金名物(?)の磨石(すりいし)と石皿も!
擦ってみつつ用途を考えられますよ。
やはり五感を通じて理解するって良いですね。

冠を被ったカツラみたいな形をしているのが、欠けた磨石の一つです。ほんものです。オコンシベくんがパネルで保証しています。

……キャリーケースを持ってぐるっと見ていたら、関係者事務所から職員さんが出てきました。

ケースを預かっていてくれるそうです!
あれっ、そんなにうるさかったかな? ゴロゴロうるさいと悪いので、割と持ち上げて移動していたんですよね。
たまたま見えたかな? もう随分見た後だけどありがたい!

ちょっとだけ前のめり感のある良い方でした。
食い気味って意味じゃないよ、こう、ぐるぐるエンジン働かせている感があって! 事務所の中でも、座るの後回ししてなんかの資料読んでいらしたよ! とても熱心なお方! ちょっとシンパシー!w

展示室の隅には資料室もありました。
こじんまりと世界遺産(と世界ジオパーク)の認定書が窓際に飾ってあります。

写りこむいくちゃんとタブレット――は置いておいて、同じく写りこむ壁や天井の様子を見ると、資料室の規模感もわかるかも。認定書は日本語版と英語版で34枚あると(No.30のキウスで)聞いた気がします。北黄金(英語版)はNo.20と最下部にありますね。

ちなみにこっちが「世界ジオパーク」の認定書。

洞爺湖町の入江高砂貝塚はともかく、伊達市の北黄金貝塚まで一緒に回るとなると、ジオパーク観光としては中々のマニアでは……と思いつつ、ジオパーク展示は野外に看板のみも多い中で、人文面のスポットとして何気に穴場の気も。

この棚の前には、『洞爺湖有珠山ジオパーク』の名所地図が、しまい込むように立てかけられていました。

そして書棚。
色々と興味はあるけど……ここで読んでしまうのもちょっと難しいかも――と、小さな机に憎いの見つけてしまいました。

「北海道縄文のまちハンドブック&スタンプラリー」(現在39遺跡)

……ええと。

当たり前ですが、2日前に行ったばかりの「キウス周堤墓群」もラインナップされています。
……知らなかった。

かなしみ。

さすがに39か所は回れませんが、世界遺産の構成資産だけでも欲しかった……。
何故2か所目で見つけてしまうのか。

しゃーないので北黄金貝塚で1か所目を記します。
かなしみ……。

……更に更に、売店です!

手作り感あふれるグッズの数々に、書籍……そう、書籍!

なんと北黄金貝塚情報センターでは、シリーズ〝遺跡を学ぶ〟からあるだけ4冊――つまり、前回訪問した「キウス周堤墓群」、今回の「北黄金貝塚」、岩手の「御所野遺跡」と、秋田の「大湯環状列石」、『北海道・北東北の縄文遺跡群』テーマが揃い踏みです!
え、青森? 青森は多分ないんじゃないかな? 構成資産は一番多いですが、シリーズにどこも出ていないですね。

伊達市教育委員会著の本もありますよ、題して『北黄金貝塚の縄文人』です。

熱意が! とても良いですね! すき!!
そこはかとなくあふれる好奇心を感じるラインナップ!

いくちゃんは遺跡目当てなので買わなかったけど、伊達市に関連する他の書籍も置いてあります。

もちろん本だけでなく色々買ってしまいました。

いくちゃんが買ったのは……。
〝遺跡を学ぶ〟の4冊と、教育委員会による上述の書籍、絵葉書が3枚に缶バッチが一つ、最後に鹿角釣り針のストラップ!

ええ、前回書いたキウス周堤墓群の本は、ここで手に入れたのでした。

……でもね、私はうっかりしていたよ。

釣り針ってことは、とても引っ掛かりやすい形状なのです。
安易な場所に付けていたら、台所作業中にシンクの下の把手に引っ掛けて……。

ばきっと。

――ご臨終して、しまったのですorz

ひと月経たず嘆きの現実……。
絵葉書は友達に出したらね、喜んでくれたよ……缶バッチは通勤でも使うリュックに付けているよ。
さようなら、いくちゃんの鹿角釣り針ストラップ……。

捨てるに忍びなく、今は床に転がっています((

いよいよ北黄金貝塚の遺跡へ

広々と映えるA’地点貝塚だけでなく、左の竪穴住居の向こうに、B地点貝塚の位置も見えるかもしれない。北黄金貝塚で最も古い、円形の貝塚です。

さて、気を取り直して遺跡へ行きましょう。

……なんか芝刈り始まっちゃっていて脳にダメージ来ますが、天気が良いので仕方ないですね……うん……でもちょっとどうにかならないかなこの音……。
写真左の木々の向こう側にベンチがありました。
ちょっと休むかな……音止まると良いな(そんなすぐには止まらなかったw)

一度情報センター内に戻って書籍を手に取ったりもしましたが、そろそろ疲れが出ていますね、中々頭に入ってきません(笑)
仕方ない……これだけ開けていると音も響くのだ、甘んじて受け入れようではないか。

とりあえず遠くから回るぞ!w

丘の上のB地点貝塚を回り込み、噴火湾を見晴らします。現代だからこの距離感ですが、当時はもっと近かったとか。

B地点貝塚は、北黄金貝塚の中でも前期前葉に当たる最も古い貝塚です。

海面が最も高かった頃でもあるので、丘の上の方に位置し、暖かい海のハマグリなどが供養されています。
ええ、貝塚はただのゴミ捨て場というより、生き物供養の場だったのですよ。

その向こうに見えるA’地点貝塚は、同じ縄文前期でも後葉の頃。
B地点貝塚から見ると、海を追いかけるように今の海岸線に近づいています。
噴火湾には寒流が流れ込み、貝殻はカキやホタテに変わりました。

北黄金貝塚最大のA’地点貝塚。カキやホタテに加え、獣骨も結構見つかったため、一緒に敷かれています。

北黄金貝塚公園ではそれぞれの貝塚の特徴を捉え、B地点貝塚はハマグリの貝殻を、A’地点貝塚はカキやホタテの貝殻を使い、違いがわかるように展示されています。

……やっぱり遺跡って、現地に行くのがとても大事ですね!
これほどイメージが湧くこともありません。

イメージを湧かせてくれる展示方式も嬉しいですね。
本物ではないけど――なんて思いきや、ほら見て!

なんと北黄金貝塚、こんなものまでありますよ!

水場遺構の露出展示。よく見ると磨石(すりいし)が見つけられるかも……。

縄文時代の水場遺構(本物)です!

上の写真は敢えて地面近くから撮影したので、当時の人々の視線がちょっとわかるかも。
ここで道具を洗ったり、木の実をさらしたりしていたと思われます。

さて、磨石は見つけられますか? 中央から手前側に視線を落とすと、半月型の大きな石がありますね(石皿かな?)、このすぐ右隣に一つ磨石が横を向いており、その上隣にも一つ磨石が立っています。探せば他にもありますよ!

何も知らずにこれだけ見ると、河原の石でも撮っているみたいですね。
でも実は縄文前期を通して、千年以上かけて積み上がった石器の共同墓地なのです。

北黄金貝塚の縄文人たちは、今の我々とは違い、ごく少人数で暮らしていました。
水場遺構の目の前には縄文中期の竪穴住居が再現されていますが、たったの3棟しかありません。
この程度しか柱跡が見つかっていないのです(実際は前期で3棟、中期で5棟が同時期の柱跡で見つかっています)。
せいぜい25人から30人程度の小規模集落だったと思われます。

世代を超えた魂の連鎖が、膨大な石器の平原を築き上げたのです。

なお、柱跡は中期のものまでありますが、ここの石器は前期のものだけです。
中期の人たちはこれを目の前に見ながら、手を付けなかったんですね。
さて何故でしょう……。

想像が膨らみますね。

この展示は管理が大変ですよー……。

これが北黄金貝塚の凄いところです。
遺跡を丁寧に残すだけを考えるなら、こんなの埋め戻すに限ります。
これを綺麗に残したまま掃除するなんて、ちょっと考えるだけでめちゃくちゃ大変ですよ!
どんなに丹念に管理したって、風化だって免れえません。

でも活かしてこそ、遺跡は伊達市の宝であり、人類の宝たりうるのです。
伊達市は公開を選びました。

管理は任せて! しっかり保持するから!
だから見て! これが北黄金貝塚の水場遺構なのよ!!

……そんな声が、聴こえてくるようです。

そのスタンスが……熱意が、好きだ……。

発掘トレンチの端から水場遺構を見る。解説表示も手前にありますね。

上から見るのも良いですが、やっぱりおすすめは解説表示の逆側に回って、芝生の上からしゃがみこんで見ることかな。

……でも、こうやって発掘トレンチの長方形の短編側から見てみると、発掘者の視点とかも少し見えてきて、これも面白い。
つまり色んな見方を楽しむべし、ですね!(笑)

そして、くだんの竪穴住居、入れます。

3棟とも中身は同じ感じ。天井が低いので気を付けて入るべし。

中央に何か燃えた跡が……!

こ、これはいったいっ……?
展示のためにわざわざ焚火をしたんだろうか?
これ、絶対火を燃やした跡だよな?

――ええ、これこそ、北黄金貝塚の性格を存分に表す跡だったのです。

住民一体型、研究機関や公任せのスポットじゃない。
ここは伊達市民の北黄金貝塚。

これは小中学生たちによる、縄文キャンプで寝泊まりした形跡……!(たぶんw)

コロナ期にどうなっているかまでは知りませんが、北黄金貝塚では例年、夏休みに〝縄文キャンプ〟を行っています。
……実は、上の方の写真でも触れましたね。

縄文の料理を体験し、竪穴住居で泊まり込むイベントだそうです。
つまりここ、本当に焚火してキャンプするために使われている生きた住居跡なのです。

遺跡を死んだままの過去に葬らない。
再び命の息吹を吹き込み、あり方を変えながら、現代の住人とともに新たな歴史を刻んでいく。

素敵な〝継承〟ではありませんか。

――と、いくちゃんなんかは思いますが、読者諸兄の皆さま、いかがでしょうか。

縄文の森に咲くエゾノリュウキンカ。ゴールデンウィークは丁度春うららかな時期だったからか、色々な花が咲いていました。

ここは伊達市民の北黄金貝塚。

みんなで作り上げていく生きた北黄金貝塚です。

「北黄金貝塚公園前」から「洞爺湖温泉ターミナル」へ

洞爺湖町の町役場。バスの車窓から撮るのみで、このまま終点まで山を登っていきます。

さて、ここまでじっくり読んだ読者諸兄なら、次の目的地は自明かもしれません。

北黄金貝塚情報センターにて、預かっていただいた荷物をお返しいただき、お礼を行って後にします。
「北黄金貝塚公園前」のバス停はすぐそこです。
バス停前には建屋もあるので、座ってバスを待てますよ。

もちろん買った本を読みましたが……た、体力が……(遠い目)
登別からもバスに乗ったので、街並みを見るのにも疲れた気がする(笑)

今度は直行です。
隣町の洞爺湖町にて、「入江貝塚」と「高砂貝塚」に向かいます。

――と言っても、遺跡に行くのは次の日の5月4日。
この日は洞爺湖近くのゲストハウスに泊まります。

たぶん有珠山。これもバスの車窓から。綺麗に撮るのに結構頑張った……!

へろへろでかなりグロッキーだし、明日に備えてゆっくり休んで――。

……ん?

洞爺湖ロングラン花火大会だって……?

……仕方ないなw

湖の方へ道を下ると、ライトアップされた船とともに音楽が……! どことなく昔懐かしい空気感。

明日でとか後でとか言っていると、大抵その〝次〟は来ないと、この旅でそろそろ理解してきましたw

ふらふらと湖沿いを徘徊したあげく、結局チケット買って乗船。
まあ、行って良かったと思います。
……でも、私が〝行かなきゃ良かった〟って思うことって、逆にあるのか?w

丁度桜が綺麗な時期で、ライトを浴びて満開でした。

……この花火大会については、次の日の「入江貝塚」「高砂貝塚」編でも触れる予定(笑)

北黄金貝塚、遺構も町も人も魅力的で、とっても〝推し〟の遺跡でした!

おすすめ参考書籍

青野友哉『北の自然を生きた縄文人 北黄金貝塚』(シリーズ〝遺跡を学ぶ〟より)。

とても生き生きとして臨場感ある筆致で、北黄金貝塚の魅力をこれでもかと盛り込んでくれます。
水場遺構発掘のドラマに現場で関わった研究者様の著書です。
展示だけでも素敵ですが、より深くドラマティックな北黄金貝塚にご興味があれば、ぜひ一度お手に取ってみていただけると、この記事で書ききれなかった色んな北黄金貝塚がわかります。

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