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キウス周堤墓群は公共交通機関信者に優しくない【北海道・北東北の縄文遺跡群】-2023年GW旅1

旅の記録
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さて、世界遺産『北海道・北東北の縄文遺跡群』、晴れて訪問2か所目の「キウス周堤墓群」です。

ただ、GWを使った遠征3日目、前日までの荷物が……ええ、白老町のウポポイで、大分お土産を買ってしまったので……それはもう、食べ物とか、本とか、缶バッジとか、本とか……。

キウス周堤墓群は、最寄駅から徒歩2時間半くらいかかります。
最寄りの長都(おさつ)駅に、コインロッカーはない様子……。

というわけで一つ手前の千歳駅で降りて、荷物を減らすべく中央郵便局へ。
――いえ、嘘でした。

本当はヤマト運輸まで歩くつもりで降りたのです。
でもだいぶ頭おかしい距離だったので……(笑)
駅前で中央郵便局を見つけ、これ幸いと利用したのでした(笑)

そのまま目的地まで……血走った目でマップを吟味していて見つけました。

「サケのふるさと 千歳水族館」。

え、行きたい、めっちゃ行きたい。

行きました。
これが実質、この日の旅のスタートです。

写真に写らない左手側にはこいのぼりもいました。千歳川の岸に建つ、都会の中の青い建物。

水族館で見舞われた幸運

水族館に入ってすぐの金魚たち。

「サケのふるさと 千歳水族館」は、丁度進路の通り道にありました。
これなら寄れる、1時間だけでも見たい! と足を延ばしてほくほくです。
ストレートに数時間歩くより、途中で楽しみがある方が頑張れるし!

稚魚から成魚までサケがいっぱいで、大水槽見ているだけでとても落ち着く。
ドクターフィッシュとやらが手に吸い付いてくるのが楽しい(片手だけすべすべになった)。
何より日本で唯一という、実際の川をガラス越しに覗ける展示が面白い。
感心しながら千歳川の中を眺めていたら、ボランティアガイドの方が話しかけてくれました。

どこから来たかと聞かれ、その流れで旅の目的を話し、これからキウス周堤墓群まで歩くんですよーと伝える。
――と、「えっ!?」と言われてしまい、何度も「遠いよ」と繰り返される。
うん、知ってる。
でも歩くもんね! と思っていたら。

偶然にも本日、キウスのガイドもしているボランティア仲間が来ている。
伝えておくから送ってもらうと良い。

……との提案を受けました。
衝撃。
でもせっかくだから歩いてやりたいと、ていうかそこまでお世話になれないと、頑なにも断りました。
それでもその方は実際に伝えてくれたようです。

海の中風のプロジェクションマッピングな廊下を歩いていたら、別のボランティアの方に話しかけられ……送っていく、と。
断っても「遠い」の一点張りなので、水族館は良いんですかと聞いたら、他の人に頼むからと。

……そこまで仰るならと、お願いしました。
時間を聞かれたので、サケの稚魚放流体験をした後に出るつもりだったと言えば、その後行きましょうと。

毎年たくさん放流しては、一部が帰ってくるそうです。
私が放流した二尾も、生き残ってくれると嬉しいな。
もちろん生態系を考えると、みんなが生き残るのが良いとも言い切れないのが現実ですが。

この場所の左手側から、サケの稚魚を放流しました。使い捨てのプラコップに入った子たちを……あっという間に終わりますが、頑張って泳いでいくのが印象的です。

つきっきりガイドで千歳市埋蔵文化財センターを目指す

稚魚の放流場所近くにある滝。流れがあると、まず魚は遡っていくそうですが、いずれは海に到達します。

スタート地点は水族館。

稚魚の次は人間が旅に出ます。
歩くことで見える土地の姿がある。

でもミラクルの結果、私は車移動になってしまいました。
こうなった以上、この特殊な状況ならではの利点を活かすしかありません。

地元のボランティアガイドさんに、話を聞きまくるのです。

例えば、「千歳」は元々「千歳」ではなく、「シコツ」だったとか。
由来はアイヌ語の「シ・コッ」で、「大きな窪地」の意味らしいです。
ただ、日本語風に「シコツ」にしてしまうと、「死骨」を連想して縁起が悪い……。

今も名前の残る支笏湖では、「死骨湖」と当て変えて心霊スポットにもなっているらしいですね。
そして「シコツ川」は「千歳川」になり、一帯は千歳市となりました。
なんで「支笏湖」では名前が残ったかは知らないけど、千歳になったのは鶴がいっぱいいたからですって。

言われてみればアイヌ語っぽくない地名です。

では元の「大きな窪地」とは、って言えば、本来はこの地域一帯、多数の川が沼に流れこむ湿地帯だったから。
ごく最近の人間が用水路を作って、住める土地に変えたんですね。

千歳市埋蔵文化財センターのパネル展示。これはもっと昔の地形ですが、千歳市一帯の標高が低いのがわかります。

「キウス」の意味は「カヤの群生するところ」です。
窪地に水が流れ込んで湿地帯になり、そこにカヤが群生したので、「キウス」と呼んでいたわけですね。

カヤと言えば、茅葺屋根でもあります。
キウスの人たちは、水害を受けない程度に場所は選びながらも、このカヤを建材に集落を形成した――。

これ、予習ね。

キウス周堤墓群の誤解

豊富なカヤで住居を作り、生活した縄文人たちのお墓の遺構が、キウス周堤墓群です。

でもこれがわかったのはごく最近のこと。

キウス周堤墓群一帯には、円状に盛り土が作られた領域が、複数固まっている――それに気づいたのは幹線道路を中央に通した後でしたが、どうも地形の様子が普通じゃない。

それが縄文時代のものだとは、当初誰も考えなかった。
そこまで組織立った建設事業を成すだけの社会が、縄文人にあるなど誰であれ思いもよらなかった。

では一体これはなんだと。

自然地形にしては奇妙だし、どうも人口建造物ではないかと。

そして辿り着いたのが、アイヌのチャシ(城砦)跡という説だったそうです。
現地のアイヌ曰く、かつてアイヌがここに隠れて戦争をしたと。
ならばチャシ跡ではないかとなり、そのままチャシ跡として史跡登録までされました。

そのまま誤解されていましたが、調査をすればどうもおかしいと気づく人が現れます。
やがて縄文時代の遺跡だとわかり、徐々にその見識が識者に浸透し、道内各所で周堤墓が発見され、縄文人たちの組織力が理解されていった――。

……そんな話を、私は車の中で、或いは埋蔵文化財センターで伺いました。

いえ、正直一か月前の話なのでね?
どこからどこまで聴いた話か正確には怪しいですけど、大体はこんなお話です!
キウス周堤墓群の南では、新千歳空港を建設する際にも、縄文時代の大きな周堤墓が出てきたようですよ。

予習は危うい訪問でしたが、何となくイメージは掴めてきました。

千歳市埋蔵文化財センターからキウス周堤墓群へ

千歳市内の遺跡で出土した様々な土器。説明表示はあまりなかったけど、無料でじっくり見られます。

ありがたいことに埋蔵文化財センターにも寄っていただき……。
旧校舎を利用しているらしいその施設で、地図など見ながら色んなお話を聴き。

キメラのような「ビビちゃん」なる高度な土偶を始め、石棒や石鏃、土器の遺物を眺め。

縄文風キメラのビビちゃんは、この施設の十八番です。360度じっくり見られます。美々貝塚で出土した中空土偶。

……ただまあ、ここで「眺め」と言ってしまうのは、さらっとした鑑賞に留まってしまった結果ですね。
どうしても人と行くと、展示物の見方は五分の一くらいになってしまう気がします。
単純に私ほどじっくり見る人は少数派ですし、相手に意識を割いてしまいますからね……まあでもその代わりのガイドです。
良し悪しですね。送迎の件がなかったとしても、これはこれで後悔はありません。

千歳市埋蔵文化財センターはその名の通り、キウス周堤墓群に限らず千歳市全体の考古展示をしています。
でも結局遺跡を知るには、地域を知ることが肝要だと言えますし。

例えば、先ほどシコツ(千歳)は「大きな窪地」だったと書きました。
ところで、『北海道・北東北の縄文遺跡群』の中で、北海道に位置する6件のうちでキウス周堤墓群だけがかなりの内陸部に位置します。

……実は、かつて今よりずっと海岸線が内陸にあった縄文前期の縄文海進の時代でも、千歳市の辺りは大部分が海でした。
北海道の東側と西側を繋ぐ地峡のような形だったのです。
だからこそ、ビビちゃん生まれ故郷の美々貝塚など、海岸付近ならではの遺跡もあります。
そして海の周辺に営まれた集落が残り、形を変えてその後も後期まで続いていった――なんて、地域を知るから想像できるんですね。

実際にそう説明を受けたわけではないし、内陸でも川沿いなら集落は出来るので、これはあくまで私の連想です。
でも確実に言えるのは、地形と遺跡は分かてないことですね。

木々が残るキウス周堤墓群

『北海道・北東北の縄文遺跡群』の中でも、キウス周堤墓群での見学に限って(と言われたと思うけど)、特別な経験ができます。

他の遺跡は木々を切り倒し、草を刈って芝を植え、植物の活動で遺跡が壊れないよう、限定的な場所に縄文の生き物を再現していたりするんですが……。

キウスは、そのままです。

現地のガイドさんに聞いた話では、縄文時代に生えていた生き物たちと同種らしいです。
つまり、縄文人が資材に使っていた木々や、食料に使っていたオオウバユリなんかがいます。

アイヌの食糧としてウポポイではキャラクターモチーフにもなっているオオウバユリは、縄文人の食糧でもあったのですよ。
北海道における縄文文化とアイヌ文化って、狩猟採集の生活様式を継承しているだけあり、本州よりずっと繋がっているのですね。

この木々、遺跡の保存状態として良いのかと言われると微妙なところもありますが、決して鬱蒼と歩きづらいわけではないです。
むしろ見学ルートにウッドチップを敷いて歩きやすくする工夫もありました。

多くの遺跡が木々を切り倒してしまう中、最も当時の空気感をニュアンスで感じ取れる場所の一つかもしれません。
遺構や住居だけ再現しても、当時の人たちがだだっ広いところで生きていたかは別なのですよ。

今後保存のために木を伐ることもあるかもしれませんが、少なくとも私の訪問した段階では、そんな見方も楽しめました。
途中で雨が降ってきましたが、チップや枯葉に当たる雨音に囲まれるのは、結構心地良かったです。
チップのおかげでぬかるむこともありませんでしたよ。

……遺跡見学で〝ぬかるまない〟ありがたさを、この時点ではまだあまりわかっていなかったですけどね(笑)

見学時間は……30分のみっ……!

写真左側の通路に、ウッドチップが敷いてあります。右手の方は現地のボランティアガイドさん。

ここで一つ問題がありました。

私を送迎してくれたボランティアガイドさんも、水族館へ戻らねばならないのです。

もちろん帰りは断りました。
元々往復歩くつもりだったのに、片道ガイド付きで送ってくれただけで感謝しかありません。
ゆっくり見たって時間はたっぷりあります。

でもね、私咄嗟に強く言われると、めっちゃ流されちゃうんですよ((

行きは凄くありがたかったし……もちろん帰りも遠いと繰り返されますので、そこまで言うなら、帰りもお願いするかなあ……と。
でも正直、これは断るべきだったかもなあと思っています。

今回の旅の目的は、取りも直さず縄文遺跡です。

他の予定は割と自由に削ったり組み替えたりしちゃっても良いですけど、遺跡が犠牲になってはいけなかったのです。

たった30分ですから、私が見られたのはメインの最大周堤墓である2号機に伸びる道沿いだけ。
上の写真の道です。

ガイドさんは、他の場所も似たような感じだと仰いますし、実際そうなんだと思います。
それでも私の性格上、しらみつぶしにあらゆる角度から、自らの足で泥臭く――という過程で、多くのものを得ていくのです。
多分私には、似たような感じと言われたところで、全く同じには見えないと思う。
色んな角度で長く歩いた方が、多くのことに気づけたと思う――。

それにやっぱり、歩いて遺跡に向かった場合、どんな感覚だったかも気になるのです。

送っていただいたことを後悔はしていないし、凄くありがたく楽しい時間でした。
でも次こそは歩きたい、という思いも捨てきれない……。

その〝次〟があるのかは、怪しいと思います。
それでももし次があれば……。

少なくともせめて、全ての見学ルートを歩き、掲示物は隅から隅まで読み込みたい。
そのうえで現地の方に色々と質問してお話を伺いたい。

それが私のやり方です。

ガイドさん曰く、普通にガイドすれば30分、長い人は質問とかするから1時間くらいかかることもある、だそうです。
最初に30分でと言われた時に聞きました。
であれば私は、1時間半くらいはキープしておくべきだったんだ……真面目に……。

水族館へ戻り、登別へ

残りの時間におすすめスポットがあるかと聞きましたが、いやぁないなあと言われてしまいました。

もう少し時間があれば支笏湖もありでしたが、何とも時間が……そこまでは行けないと。

仕方がないので水族館に再入場し、午前中では見切れなかった分を見て回ります。
やっていなかったエビすくい体験や、見られなかったサケの餌やり……。
これはこれで良かったとは思います。
時刻が変わったことで、見学者たちの姿にも変化が現れた気がします(午前より混んでいた)。

千歳川の川底を覗いてみれば、午前中に誰かが放流したと思しきサケの稚魚がいます。
午前に覗いた時には見当たりませんでした。
少し楽しい気分になりますね。

でもやっぱり、私はどこか物足りない気分でした。

水族館で絵葉書を買い、実家の家族宛てに書いて郵便局へ持っていって出しました。
労基から電話が来ていたので()、折り返し掛けて質問に答えました(2月に通勤事故ったのでその件で……(( )
それでも時間が余ってしまいました。

その分ちょっと早めに準備して、余裕を持って電車に乗車――。

……あー……。

……できなかったなあwww

そういえばあの時、登別行きの特急列車の切符が何故か買えなくて半泣きになり(駅員さんが中々捕まえられないw)、改札入ったけど乗り場がわからず(駅員さんどっか行ってしまった)、現地民ならわかるかと思って高校生っぽい学ラン着た人に声をかけてもわからなくて慌てさせてしまい(ごめんなさい(泣))、その彼が教えてくれた路線図掲示のある場所を必死で探して駅の方向を突き止め(だいぶパニックで中々見つからなかった)、漸く室蘭方面を目指せば良いと理解して……乗れたんだったな、うん……(遠い目)

2日間泊まった苫小牧や、前日にお世話になった白老の駅を通り越し、電車は登別に着きました。

ここでもいくちゃんは2泊しますが――。
うん、このお話は無しにしておきましょう。
とても良かったとだけ。

次の目的地は北黄金貝塚

やはりこのブログは世界遺産に関わる記事を書く場所なのです。
書くネタはいくらでもありますが、他も書いていたら正直きりがありません。

よってこの記事においては、こう言って締めておくこととします。

次の目的地は「北黄金貝塚」。

登別を通り越し、室蘭すらも通り越し、半島を北に取って返した先にある遺跡。

北海道伊達市の北黄金貝塚公園です。

思いがけないミラクルに恵まれ、楽しく回りながらも悔いを残してしまったキウス周堤墓群を背に……。

新たな旅へ向かいます。

――ぶっちゃけキウスは書籍類も売っていなかったので、キウスの本って別の場所で手に入れたんですよ。
その辺も語れると良いですね。

次回更新日、未定!

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